「今朝、久しぶりにあったま(頭)痛くて、どうしようかと思ったんだけど、しばらくしたら治ったからよかったよ」
昨日、帰りが一緒になった妻が、我が家の玄関先でこんな事を言った。
思えば、彼女は子宮頸がんになり、脳梗塞になり、心房細動になり、退院後は複視という後遺症に悩んでいたものの、奇跡的に回復し、今は通常の生活ができている。
すっかり忘れていた。
彼女の家事の負担を減らすべく、私は自分の洗濯をしたり、弁当を作ったり、夜の食事の後は洗い物や後片付けを手伝うようにしている。彼女を思っての事だ。
一昨日、私は久しぶりに彼女に文句を言った。
妻は癖なのか、ドアの開閉が乱暴で、開閉時にとても大きな音を出す。風呂に入っていても二階の自分の部屋に居ても、その音が聞こえて以前から気になっていた。
一昨日、疲れ果てて風呂に入っていたときも「バタン」と大きな音がしたので、これは言わねばと、この事を注意したばかりだった。
私は二人で暮らしている事もあり、滅多にこのような事を言わないようにしてきたのだけれど、最近では歳を取ってきたせいなのか、あまり我慢ができなくなってきたのかもしれない。
そんなタイミングで、頭痛再発のフライング。
これから新車を買おうとか、この先も長生きしようとか考えていた矢先だったので、いろいろと思うところがあった。
「この先もう10年位なんだから、楽しく生きよう」
妻はよくこんな事を言う。
これに応えて私は
「死ぬまで働くから安心しなさい」
と言ってきた。
しかし現実問題として、死ぬまで働くのは不可能。仮に運送会社に入ったとしても、給料のいいところはやはり延長して70までしか働くことはできない。
そして今も、毎日身体の状況と戦っている自分がいる。拘束時間や給料面ではこれ以上ない待遇なのかもしれないけれど、この仕事を続けることができるのも、身体が動くからであって、身体に支障をきたしてしまえば、臨時なので、はい、それまでよ、が待っている。
60という歳になり、こんなに毎日、これからの事を考えるとは思っても見なかった。70まで働くことができる、大手の運送会社に入ればよかったのかもしれないかなと一瞬思ったけれど、やはり朝1時間早く、夜は3時間遅い拘束時間は、今の仕事以上に身体に堪えるに違いない。
妻と私で何とか健康で、この先も暮らして行くことができればと、この歳になってしまった今、切実に思う。毎日こんな事ばかりで恐縮ですがお許し下さい。
健康が第一です。





