こちらの家に来た際、庭で野菜でも作ってみようかと思い、庭の片隅に小さな畑を作った。
鍬を入れて耕し、毎年いろいろな土や肥料を入れ、それなりの形になり、今では我が家の庭の一部を形成している。
畳を置くなら、5枚くらいは置けるだろうか。
ここ数年は、単価の高いトマトを中心に栽培している。当初は楽しみながらやっていたものの、次第に義父が、何も手をつけていないのに、町内会の人や親戚、ありとあらゆる知り合いに自慢をしたり、知ったかぶりをしてトマトの実を勝手に摘果した上、その辺に放り投げてあったり、いよいよ収穫だというときになって、これまた勝手に赤くなったトマトを収穫したりと、いいことも楽しいこともなくなってしまったので、最近では春先の義務感で何とかやるだけで、面白みも何もなくなっていた。
しかしである。
東京の同級生がグループのラインに書いたメッセージに驚いた。
新装開店した立川の高島屋の屋上に、レンタルの家庭菜園スペースがオープンしたのだという。お金を払って小さな菜園を借り、そこで野菜を育てませんか、とのことだった。
友人が送ってきた写真には、デパートの屋上に展開する、小さな畑群が映っており、時代は変わったものだと思った。
デパートの屋上と言えば、かつては乗り物があったり、金魚や小動物や昆虫などのペットショップ、ちょっとした食べ物処、ゲームなどがあったりしたものだが、今の時代は何だ、家庭菜園なのかと。
会員になって毎月お金を払い、その上で苗や肥料を買って、交通費と時間をかけて立川の高島屋の屋上に行き、野菜を栽培するのだ。
都会に住んでいるなら、毎日コンクリートとアスファルトに囲まれているだろうから、土に触る機会もほとんどない。私は30歳まで東京の多摩地区で暮らしていたので、それはよくわかる。
私が何気なくこちらへ来てはじめたことが、これまたこんな形で、東京で再現されているとは、不思議な気分なのだ。屋久島や漁師になること、はたまた田舎暮らしやインターネットでの発信に続いて、私に時代が追いついたんだかなんだか、相変わらず先を行きすぎて、時代が追いついたときには興味がなくなってしまって、もはやよくわからない心理状態なのである。
そんな会話をしているのが、大学を出て、超一流企業に就職し、家庭を持って子供も二人育てて、金には困らず、人生順風満帆に思われる、仲のよい同級生男子の二人なのだから、更に不思議なのだ。
表面上はそれなりに見えるけれど、実はみんな大変で、土でもいじって家庭菜園でもしながら過ごしたいと思っているのかもしれない。今は疎遠になってしまった、中学の頃からの地元の友人も、かつてはそんなことを言っていた。ちなみに彼は今、某ブランドの雇われ社長などをしており、雲の上の人となってしまっている。
私はお金がないけれど、実は幸せなのだろうか。
好き放題やってきた結果、こんな風になってしまったけれど、冬は白鳥が飛び、夏は家庭菜園と庭の手入れなどを、今はもう惰性で何となくしているこんな私が、実はうらやましがられているのだろうか。
今度同窓会で聞いてみようと思う。