屋久島に住み続けていたら

 あのまま屋久島に住んでいたら、今頃大変なことになっていたと思う。

 最初屋久島に行ったのは30歳の時。この時はまだ、親も元気で屋久島に遊びに来たりもしていた。

 あの時の親の年齢と、今自分が同じ位の年齢になってしまったのだ。

 時の流れるのは早い。

 親が介護状態になるなんて事は微塵も考えておらず、ただただ自分の欲望の赴くままに行動していた。これは今でも同じなのかもしれないけれど。

 屋久島の場合、島から出るだけでお金がかかる。当時の私も、この費用が捻出できずに、というか正確には勿体ないという気持ちが大きく、帰省以外は殆ど島から出ることはなかった。

 鹿児島に上陸したとしても、その後も東京までは遠い。飛行機なら早いけれど、それなりに費用がかかる。

 やはり今くらいの距離が限界だろう。新幹線に乗ってしまえば2時間もかからない。新幹線を降りてからが少し遠いけれど、今は電車の本数も充実してきているので、それほど苦ではない。

 余裕で、一日あれば往復できるのである。それなりの費用はかかるけれど、こればかりは仕方がない。

 屋久島に住んでいたら、今のように月に一度帰省して親の面倒を看る事なんてできなかっただろう。結果的に、宮城県仙台市に住みついてよかったんじゃないかな、なんて今さらながらに思っている。

 願わくば、もう少し経済状況が良くなって、休みも増えれば最高なのだけれど、それは高望みというものだ。今もそれなりの一軒家に住み、光熱費を払い、スーパーではそれなりに買い物をし、軽ではない車を2台維持し、生活することができている。

 もちろん、健康であることが第一条件だ。

 人生設計なんて言葉があって、私なんかは若い頃からこんな事は考えてもいなかったけれど、やっぱり設計しておけば、それなりに備えることができることを、身をもって感じている。

 なかなかできることではないかもしれないけれど、考えるだけでも人生の歩み方が違ってくのではないかな、なんて、考えだけは格好いいことを思っている。