カミサンからのクレーム

 先日、家のドアのクローザーという部品を修理した。

 カミサンが「最近閉まりが悪いね」というので、メルカリで格安部品を探し、先日取り付けが完了した。

 商品は中国製で、説明書があったけれどなかなかわかりずらい日本語で、殆ど見ることなく取り付けを行った。

 安いだけあり、現存部品と微妙に仕様が違っていたので、サンダーで削ったり、金属用のこぎりで削ったり、ドリルで穴を開けたり、微妙に位置を調整したりと、土曜日の休日、半日を費やして取り付けは完了した。

 テストをすると、閉まり方が若干荒っぽい感じがしたが、調整用のネジ2つをいろいろと回して様子を見ているうちに、何とかいい感じに仕上がった。

 ただ一点、この装置にはストップの機能がついていなかった。ドアを開けたままにはできないのである。私はそれほどの問題ではなく、後でドアストッパーを買って取り付けをすればいいと思っていた。

 昨日家に帰ってきて、カミサンはいつもの通り夕食を作ってくれたのだが、その夕食中の会話で問題が発覚した。

「今日はドアの調子がよかったな。前のやつとは違って、やっぱり新しいから動きが安定しているみたいだ」
「あれさ、新しいの付けてくれたの、開いたままにならないのね」
「そうだよ、仕様だからね」
「それ、ひどいんだよ」
「?」
「買い物から帰って来ると、荷物は一つじゃないから、何度も何度も出たり入ったりするんだ。あれじゃ意味ないんだよ。まだ元の方がまし。ひどいんだ、ひどすぎる、あれは…」
「そうなんだ」

 「ひどい」という言葉は、こちらの地方では標準語と比べると若干ニュアンスが違う。だめだ、とんでもない、どうしようもない、という、結構強い否定の意味を持っている。

 私はこの「ひどい」と、「元の方がいい」にカチンと来た。しかし長い夫婦生活の中で、感情を爆発させることはよくないことだとわかっているので、自分なりに対応することにした。

「それじゃ、ドアストッパーっていう、足でふんずけてドアを止める部品を買って取り付けるから、それでいいか?」
「何それ?」
「足でこうやって踏んで、ゴムでドアを止める部品…」
「ドアが止まるならいいよ。早急にね」

「どうしてさ、買う前に相談してくれなかったの?」
「そんなの買うまでわからなかったんだよ。メルカリの中国製だからね」

 カミサンからは閉まりが悪いので、というオーダーだと思い修理したのだが、もう一つの重要な「開いたままにする」という機能を知らぬ間に犠牲にしてしまったのである。
 私は、おそらくこれでは彼女は満足しないだろうと思い、再びメルカリで部品を探したところ、今度は2,500円で「注文ミスしました」という日本の部品があったので、これを注文した。今にはじまったことではないが、正規品をきちんと買えない自分にも腹が立つ。

 でも、おそらくこのサイズのドリルの歯はないので、ドリルの歯をホームセンターに行って買ってこなければならない。頼みのMonotaROでは、送料がかかって割高になってしまう。正直、「ああ、めんどくさい」なのであるが、仕方なかった。

 私は今回、怒りを爆発させることなく、何とかやり過ごす事ができたものの、かなり嫌な気分になってしまった。相手のニーズをわきまえずに作業してしまった事は当然わるいのだけれど、休日の半分を使い、ドリルを出したり、金属用のこぎりを使ったりして、ようやく取り付け、調整を完了したものが、頭から否定されてしまったからである。

 爆発的な怒りは何とか抑えることができたものの、顔はいつもの顔ではない。今も少し引きずっている。彼女もそれはうっすらとわかっている。

 喧嘩までは行かない、微妙に仲の悪い状態である。

 他人の二人が暮らしていれば、時々こんな事はある。

 この手の問題は、時が解決してくれる場合が殆どだ。

 今回もそうなってくれるだろう。