私は高卒で、東京トヨタという会社に入社した。
給料はいくらだったか正確には覚えていないが、あまり高くなかったと記憶している。
これは手取り額の話で、実際に給料明細の総支給額を見るなら、それなりにあったのかもしれない。
でも当時は、目に付くのは手取りの金額で、その他の所がどうなっていようと、それが何を意味するのかなど考えることもなく、ただただ(東京トヨペットに比べると)うちの給料は安い、という事になっていた。
今お世話になっている界隈の会社もそうだったのだと思う。
入社した頃の若い自分の給料なんか、やっと生活していくことができるレベルだったに違いない。
課長や次長や部長を見ながら、あの位に出世できれば、こんなにもらえるんだぞ、若い頃苦労して結婚すれば、子供が成長する頃には楽になるんだぞ、みたいな風潮が多分に見受けられた。
これが年功序列の社会だった。
時代は変化し、今はこのような風潮はなくなってきていると言うが、実際に天下りなどを目の当たりにしたり、同じ事をやっているのにボーナスが出たり出なかったりする現実を肌で感じてしまうと、完全には抜け切っていないと思う。私がまだ現役だから思うのかもしれないけれど、特に大きな会社や役所関連の職場ではまだあるのだと思う。
東京トヨタに入社した頃、給料が思ったよりも安いので、親戚や知り合いにこぼしたところ、大きな会社だから安定しているんだよ、長く勤めると給料が上がっていって楽になるから頑張りなよ。と、何度か言われたことがある。
仮にあのまま頑張って、無事に退職を迎え、退職金を満額もらい、それなりの年金をもらったとする。退職時に、俺の人生はこれでよかったのかと考えるなら、やはり面白くなかったと思うだろう。
この年になっても金がカツカツだったり、カミサンに働けとハッパをかけられたり、副業が上手く行かなくて貯金もなかったり、出かけることもままならなかったりと、苦しい状況はあるけれど、私はあの時会社を辞めて、屋久島に行って良かったと思っている。
だからこそ、人生が拓けたし、パソコンを使ってホームページを作ったからこそ結婚もできたのだし、こうしてみんなに「面白いね」と言われるような事を話すことができるし、これはお金では買うことのできない財産だと思っている。
最近カミサンに長年我慢してきたお金のことをいろいろと言われて意気消沈していたけれど、もっと自信を持っていいのかなと、考え直している。
この辺りをもっと主張すれば、googleも評価してくれるかもしれない。
人生最後まで自分らしく生きて行こうと思っている。