昨日は法務局へ行った。
いよいよ会社設立ですか? なら嬉しいのだけれど、今回の目的は違う。
妻と一緒だ。
そう、今まで私たちが義父と一緒に住んできたこの家の、名義変更、所有権移転の手続き。
妻はこのような手続きが苦手らしく、今回私が勉強して、この手続きを執り行うことに。
家の相続登記においては、一番面倒なのが相続の所なのだが、妻の場合は義父に配偶者はおらず(既に他界)、妻に兄妹もいないことから(一人っ子)、遺産分割協議書を作成する必要がなく、一番簡単な手続きで済んだ。
以前にも書いた通り、義父の戸籍書類の取得で少し大変な思いをしたものの、手続きは思いのほか難しくはない。
ただ、申請書に所有する土地を書くところで、かつて揉めたらしいご近所との共有のスペースなどがあり、これが課税されるのか、というような疑問もあったのだが、慌てずに文言を読んで考えればわかるレベルだったので、無事に申請書は作成することができた。
法務局なんて行ったこともない。適当に地図でアタリをつけて、街へ繰り出したものの、見事に通り越して隣のブロックからもう一回り。まったく、ナビが嫌いだとかいいながら、よくもこんなんで大型車の運転手が勤まったものだと、今さらながらに笑ってしまう。
法務局はコンクリート打ちっ放しのような建物で、ビルの一階が駐車場になっており、ガードマンの指示通りに車を停め、確か三階だかの申請窓口へ。とてもわかりやすく表記がされており、迷うことはなかった。
あらかじめ近所の郵便局で買っておいた、返信用の本人受取郵便+書留の封筒に貼る切手を貼り付け、自動車税よりも高いような収入印紙を、これまた申請書に用意しておいた台紙に貼り付け、いざ申請窓口へ。
印紙を貼って申請窓口というと、私は職業柄陸運局の窓口を想像してしまうのだが、ここは法務局、手続きに訪れる人は殆どおらず、リクジとは雲泥の差がある。
無事に提出完了し、3月のはじめに完了予定という紙をもらって、一応の任務は終了した。
妻にとっても私にとっても、義父に関してはさまざまな苦難があった。
妻も私も、この家が欲しいがために、ここへの同居を決めた。義父は大変太っており暴食だったので、妻はそれほど長生きするとは思っておらず、同居を決意したという。
ところが思いのほか、義父は長生きした。親戚には愛想がよくカネを使いまくるものの、家族に対しては横柄な態度の義父は、妻を悩ませ続けた。
寄る年波には勝てず、やがてデイサービスのお世話になることに。段取りや洗濯などの家事で、妻は疲弊した。下着は全て5Lの特注。綿のパンツとランニングとステテコがワンセット、バスタオルは入浴毎に2枚。これを毎回洗って乾かすのは、傍で見ていてもとても大変そうだった。
そして、台所で大腿骨を骨折し、救急車で運ばれて入院、手術。たまたま私と妻が在宅の日だったからよかったものの、ここから地獄の日々がはじまった。
何もない身体での入院なら全く問題ない。しかし彼は、心臓病、腎臓病、高血圧、その他諸々、脳以外の様々な機能に支障をきたしており、ここから先のケアは困難とストレスを極めた。
特に悩ましかったのが透析問題。彼は太っているせいか、透析をするための針が入らず、それを補うためのシャントという装置を取り付ける手術をしたものの、それも機能せず、それなのにそれを三回も繰り返して、私たちは医療への不満をつのらせた。
合わせて、病院から先の施設と病院との癒着が目に見える形でわかったので、私は意地になってこの病院にマージンが入らない介護施設を探し、彼を入所させた。
これで安心したかに思えたのもつかの間、この、とても評判のよかった介護施設は、都市部の今風の業者に乗っ取られてしまい、突然名前が変わる。当然、介護内容も微妙に変わってきた。
「看取りまで、しっかりとサポートさせていただきます。この先何があっても、この価格でずっとこちらにいらしていただいて結構ですので、ご安心下さいね。」
そう私たち夫婦に笑顔で言ってくれた当時の施設長は、私たちに別れの手紙を送った末、施設を去って行った。
「〇〇さんが職員にセクハラをしています。このままではお預かりすることができなくなるかもしれません」
新しい施設長からのはじめての連絡は、こんな内容の電話だった。
夜遅かったが、私は仕事の後急遽義父の元に向かい、問い糾したが、彼は顔の前に自分の手を差し出し、左右に振って、認めることはしなかった。ちなみに彼は元警察官。
その後も何度か同じ内容の連絡があった。私はもうどうにもならないと、半ば諦めかけていた。もちろん、私たち夫婦は、万が一家に戻ってきたらどうしようと、新しい施設長から連絡が来る度に、大きなストレスを抱えていた。
最後まで看てもらえると思っていたのに、と思う一方で、やはりセクハラはとんでもないのだろうな、とも思ったりして、どうにも落ち着かない日々が続いた。
やがて義父は息を引き取った。
私は、あらかじめ段取りをしておいた家族葬を手配し、即日遺体を引き取り、翌日施設長のいない間に荷物を全て引き揚げた。医者と薬局の都合で先方が勝手に置いていた薬品などは、当然ながら私たちが持ち帰る義務などないので置いていった。この施設長なら、何を言われるかわからなかったので、さっさと引き揚げた。一応、当直の方に施設長と電話連絡を取ってもらい、最終的な許可を得た上で私たちは引き揚げた。
この先も葬儀や墓じまいなど、とんでもない事が起こり続けたが、これらはまたの機会にしようと思う。
とにかく、義父に関する事の最終段階を終えたことで、妻も私も安堵した一日だった、ということをお伝えしたかったのだけれど、思いのほかエキサイトしてしまい、申し訳ない。
この先、平和に暮らすことができますように、と祈るばかりである。





