コメントをもらえなければバズらない。
バズる投稿には、コメントが多い。
TikTok界隈ではそんな事が言われている。
結果としてそうなっているのだとは思うけれど、動画をバズらせたい人は、藁にも縋る思いで、このような情報を参考にしながら、動画を作成する。
~はコメント欄へ、というような誘導が見受けられるのは、そのためだ。
現在のTikTokのアルゴリズムでは、確かにコメントが多い投稿が評価され、長い期間おすすめというフィードに掲載される傾向がある。結果として再生回数が伸びて、バズる確率が上がる。
かつて私が屋久島で日記を書いていた頃は、ただのHTMLのWebページだったのでコメントのシステム自体がなく、TeaCupという所の掲示板をレンタルし、ホームページのトップにリンクを貼って、そこで読者の方々と交流をしていた。
これは決してアクセスを伸ばそうとかの目的ではなく、純粋に、本当に純粋に、読者の方々との交流の場を作りたいとの思いからだった。
当時は多くのホームページがこのようにしていたので、私も同じようにしていた。
Rom専門の人もいたと思うけれど、日記を書く毎に常連の人たちが反応してくれたり、私に興味を持って下さったりして、とても有意義な場だったと思う。
繰り返しになるけれど、私はただ純粋に、読者の方達の発言の場として、私とのコミュニケーションを取っていただく場として、この掲示板、コメントのシステムを導入していた。
綺麗事に聞こえてしまうかもしれないけれど、まずは読者さんの事を考えての運営だった。
アクセスが増えたりとか、ヤフーのカテゴリーに登録されたりとか、様々なメディアで取り上げられるようになったりとか、そのような事柄は、結果としてついてきたものであり、決してこの結果を狙って、掲示板を設置したのではない。
かつてのGoogleもそうだったし、今のTikTokの中でもその傾向があるのだけれど、順番が違うのである。
まずは、読者の方に喜んでもらうことを考えるのが先決だ。
毎日更新するとか、内容を毎回考える、できれば面白くて、自分のキャラが立って、読者の方々に継続して読んでみたいと思ってもらえるような内容を考えて、それを書くこと、書き続けること、これをする必要がある。
コメントをいただけたり、掲示板が賑わったりするのは、その結果だと思う。
今のTikTokに見受けられるような、コメントをもらうために~をする、というようなスタンスは、そう長くは続かないと思うし、根本的な問題として順番が違うと私は思う。
偉そうに聞こえるかもしれないが、私は一応、日本のインターネットの黎明期から読者の方々を相手にした発信をしてきており、ヤフーやグーグルの歴史的な動きを身をもって観察してきている。
権威なんて言葉は大げさだけれど、一応は歳を取ってしまい、ポンコツとなってしまった裏には、経験がある。
洗練されてきたと思われるgoogleの検索結果の順位づけも、ここの人の発言は評価の一つとしている所である。
目の前に吊り下げられたにんじんばかりを食べていたのでは、一時的な食欲は満たされるかもしれないけれど、長い間を走り続けることはできない。
継続的に、安定して餌を食べることができ、長い間健康で暮らし続けることができる場所を探さねばならないと思っている。