
月曜日、母の手術は無事に成功した。
入院している病院は、それほど病床が多くはない、中小規模の病院。
カミサンの時もそうだったが、コロ助の影響で面会ができずにいる。
義父がお世話になっていた介護施設などは、面会制限が解除になっていたが、母が入院している病院は、今でも面会ができない。
オヤジも手術には立ち会ったようだったが、やはり下の心配や、90という高齢なことによる身体の衰えが随所に出てきてしまい、必然的に母のことは姉が行うことになった。
結婚したばかりの頃や、子供が産まれた時などは、よく姉の所に遊びに行ったりもしたものだったが、お互いの生活が軌道にのると、次第に姉との連絡は疎遠になって行った。
一昨年の大晦日、真っ暗な中、宮城のお土産の白松がモナカを買って手渡したのが、おそらく30年ぶり位の再開だったと思う。
そんなこんなで、最近は姉と電話をすることが多くなった。
オヤジはオヤジで、突然母がいなくなったことで、ゴミ捨てや洗濯などに困惑し、どうするんだどうするんだと、とりあえず姉の所に電話をして教わりはするものの、なかなか覚えられないようで、何度も電話をするものだから、姉もヒステリックになり、家電も携帯も拒否したから、ジジイのことはヒロシが頼むね、なんてことになった。ということで、少しボケてきたのかなみたいな父親は、私が電話介護をすることに。
とりあえず今の状況としては、正月休み明け早々に申し込んだ、要介護認定の審査が、27日に来ることになった。
要支援なら、地域の包括支援センターに、要介護になれば、ケアマネージャーがついて、介護のプログラムを組むことになるようだ。
父も母も、行政の支援を受けず、ここまでよく頑張ってきたと思う。
地域の包括支援センターの担当者さん曰く、地域の方々からは、遠巻きに、あそこの高齢者夫婦は支援が必要なのではないでしょうか、なんて声が聞かれたこともあったのだという。
実家の公団住宅には、見守り支援隊、というような名称の組織があって、高齢者を支援してくれるシステムが出来上がっている。
これは、例えばゴミの仕分けがわからなかったら電話で教えてくれるし、日常のちょっとした家事、例えば買い物や掃除、洗濯、などを、実際に家に来て行ってくれるというサービスらしい。
30分300円でお願いできるというので、父はこれを利用して、何とかやっているようだ。
母は、家に他人が入るのを頑なに拒んでいたので、今まではこのサービスを受けようにも、物理的に受けられなかったという状況。
とにかく何とか一息はついたので、これからも実家の方は、自分なりに支援して行かなければと思っている。
対してこちらの方は、墓じまいの段取りが何とかついた。
こちらはまた、改めて書いてみたいと思う。
自らの入院から始まって、年末の忙しさと、あれやこれやの身辺事情が加わり、妻も私も、よくもまあ生きているなという感じ。
ここへ来てようやく、明日は仕事がなくて休み、明後日は口腔外科の通院なので、久しぶりの連休で、気持ちが落ち着いてきた。
何とか明日も更新したいと思っています。
あっちこっちに話題が行ってしまい、すみません。