義父が死んだら、いろいろと面倒なことが待ち構えていると思うと、気が重い。

 同じ事を思っている人はそれなりにいるとは思うが、日本人は本音を言わないし、親戚関係の手前、口には出せない人も多い。

 私はそんなこと関係ないので、本音で書く。

 一番面倒なのが、墓だ。

 今、カミサンの父方の墓は、近くの寺にある。

 ここがくせ者で、あれやこれやと言いながら、お布施を要求してくる。

 義父はそれが当たり前だと思い、今まで付き合いをしてきていたが、私たち夫婦は墓だの先祖だのには興味がない、元カルトキリスト教徒、現無信論者だ。

 以前から、墓参りや法事など、金がかかるばかりで、ナンセンスだと思っている。この辺りは本来の日本人の感覚からはかけ離れているので、この文章を読まれた方には、気を悪くされた方もいらっしゃると思う。そうであれば、ページを閉じていただければと思う。

 義父は家にいた頃、先祖や親戚ばかりに金を使い、私たちには全くお金を残していない。今は何とか施設で生きているが、これだって娘であるカミサンと、彼女の夫である私が、仕方がないので、大変な手間と労力をかけて施設を探してお願いし、何とか入居できたものだ。

 彼は何事もなかったかのように毎日を暮らしているが、下手すれば、全ての費用を含めると毎日3万円くらいの費用がかかっているんじゃないかと思うと、これまた頭に来る。

 そして、その彼が一生懸命になって建てた墓を、私たちが何とかしなければならない。子供がいないので、墓じまいをしたいのだが、検索するととんでもない金額が提示される。

 3000万あった退職金は全て使ってしまい、毎月私の給料以上の年金をもらっていたにもかかわらず、一銭の貯金も残していない。

 腹膜透析をはじめて一年だから、そう長くはないとは思うのだが、いかんせん、私たちにその事を何も言わないのが腹立たしい。

 お役所体質の頭なので、何でも誰かが自分のためにやってくれると思っている。金を出せば全て解決、自分が頼めば全て解決すると思っている。

 その金は、全て施設への支払いに回さねばならない。手元に何も残らない。それなのに、私たちはそれを何とかしなければならない。

 それは子供の義務でしょ、と言われれば元も子もない。

 でも、何ら価値を感じない「墓」に、数百万円を払う義務がある事自体がおかしい。

 この先、このような事象は、増えてくるはずだ。

 墓を撤去するのに金、骨を出してお祈りするのに金、次の所に預けるのに金、預ける際のお祈りに金、おかしなシステムだ。

 最低賃金の人が働いて、これだけの事をする金額でいい。1万円もあれば充分だろう。石を動かす重機の使用料を加えたところで、どうして百万単位の価格になるのだろう。だだでさえ金がないのに、祈りに金を払う価値観を、私たち夫婦は持ち合わせていない。

 価値観が云々と世間では騒いでいるけれど、これだって立派なSDGsじゃないか。必要のない事柄に、こんな多額のお金が必要となる事は、日本の発展、世界の発展の妨げになるんじゃないか。

 
 さわいでみた所でどうにもならないのはわかっちゃいるけど、こんな、価値を感じない、私たちにとってはくだらないことにお金を使いたくないというのが本音なのである。