お正月もいろいろと変わってきた。
小学生、中学生の頃、毎年年賀状をきちんと書き、親や親戚からのお年玉をあらかじめ計算して親から前借りし、欲しいものを買ったりしていた。小学生の頃は右にしか曲がらないラジコンやギャラクシアンのようなゲーム、中学生の頃は少しませて、オリベッティーというメーカーのタイプライターを買った。小さい頃から物欲は人並み以上にあったと思う。
高校生の頃は、地元の友人や同級生達と連み、街に繰り出していた。この辺り何年かは大晦日から正月、家にじっとしていることはなかった。バイクに乗るようになってからは、ツーリングによく出かけた。伊豆の某田んぼ跡で寝袋で寝て、朝起きたら野犬がいた、なんてこともあった。
社会人になって車を持つようになると、遠いところに出かけるようになった。正月は同級生の友人の実家の旅館へスキーをしに行ったりした。これが何年か続いた。バブルだったので、スキーにはよく行った。何もわからない競馬で、オグリキャップとタマモクロスに6万円賭けたら2倍と少しになって、東京なのにスパイクタイヤを買って走っていた。メリメリという音がして、もったいないなと思いながら東京を走っていた。
やがて同級生も結婚し、大晦日から正月にかけて遊ぶ機会も少しずつ減ってきた。そんな中でも一人で遠いところに行ったり、しまいにはキャンピングカーを買ったりして、自由奔放に過ごしていた。
屋久島に行って病気になって帰ってきた。ヘリコプターの免許を取ってパイロットになるという夢の元、厳しい佐川急便で働いてお金を貯めた。この辺りで始めて父親にカメラをプレゼントしたり、正月に西伊豆らんの里、堂ヶ島という所の温泉ホテルに親を招待してみた。一泊一人5万円だったが、格好つけて払うことができた。今では信じられない。試しに年末ジャンボを1000枚、30万円銀座で買ってみたが、一枚も当たらなかった。これ以来、宝くじは買うのをやめた。
夢は叶わず、もう一度屋久島に住むことにした。ホームページがそれなりに繁盛して楽しかったが、全盛を極めた辺りで何故だか結婚することになったので仙台へ来た。
こっちへ来てからは、毎年東京の実家へ帰省していた。親がお金を出してくれて、いろいろな温泉地へ連れて行ってくれた。熱海、伊豆、日野市立乗鞍高原日野山荘、今日のお正月のマラソン、大学駅伝のゴールの辺りにも何度か行った。何年かはタクシー運転手である父が自分の車で自ら運転して連れて行ってくれたが、やがて免許を返納し、車がなくなり、私たちの車で行くようになった。最期の方は「もう遠くには行けない」と言われ、東京の青梅のかんぽの宿に何年か行った。何年か青梅に行き、その後は出かけることができなくなり、実家に泊まるようになった。
カミサンと私の父母と一緒に過ごすお正月は、前回が最後になった。母はその後家の中で転倒し大腿骨を骨折。入院手術で痴呆も発症。病院から老健施設に移り、要介護4の認定を受け、特養に何とか入ることができた。貯金があったので助かった。
父は大丈夫かと思ったものの、母がいなくなって家のことが何もできず、なんだかんだと私に電話をしてくるようになった。合い鍵を作ってくれたおじさんが合い鍵を持って家に入ってくるとか、長嶋一茂が家に来て友人達とテレビを見ているとか、おかしな言動が目立つようになり、診断してもらうとアルツハイマーではない方の痴呆と診断され、要支援1から要介護2になった。
父は91だが脚はまだ丈夫で、実家に住み続けたいというような意志も見られるので、介護の方々とも相談して、「住み慣れた家、地域で暮らす」がコンセプトの、小規模多機能ホームにお世話になることになった。私が遠いので、要支援1の時から担当して下さっている包括支援センターの方が一生懸命になって動いて下さり、比較的早期に入所することができて、感謝している。
カミサンはもう、仲の良かった母がいなくなった実家へ行くことはない。痴呆を発症して余計に口うるさい父は小規模多機能ホームさんのプログラムを上手く使って、できるだけ家にいないようにと、姉が手配してくれている。ちなみに姉は父のことを猛烈に嫌っているが、父はその事をわかっておらず、いつも子供に電話をしてくる。家に居るときだけかけてきて、施設にいればかけてこないので、できるだけ施設に行くように姉が手配してくれている。
こちらの家でもお正月はそれなりの事があった。
義父はこちらの地方特有のお正月の飾りを買ってきて、私と妻が飾りをした。実家で様々な形と大きさの餅が作られ、ケースに入って配布されていた。神棚には特有の飾りが施され、義父はこの時期とんでもない価格に高騰するナメタガレイを煮付け、あれやこれやと入れるものが多い雑煮を作り、高価なおせち料理を買い求め、私たちに振る舞った。カミサンはこれがとても嫌そうだった。
年賀状も、私には毎年それなりに来ていた。
昨年末、義父が亡くなり、この正月の儀式は全てなくなった。今年の年賀状は、私たちが結婚式を挙げた、ニューカレドニアの旅行を企画してくれた会社の方と、選挙目的のような名前も知らない、どこかもわからない郵便局長からの二通、それと郵便局の求人の葉書、三通しか来なくなった。
夫婦二人とも家にいるが、混雑が嫌で初詣などには行かない。仙台の初売りなどは、かつてのカミサンの嫌な経験がフラッシュバックするようで、働いている人の事を考えると可愛そうになって、行く気にもならないし、あまり興味もない。
ただ、年末年始は少しだけ贅沢に、スーパーで寿司とおかずのオードブルと米沢牛のすき焼き用の肉を買い、数日だけ贅沢に食事をした。
今年の正月はただそれだけだったが、歳を取ったのか、義父の遺物も片付いた家の中で静かに過ごすだけで、気持ちが落ち着く。
歳を取ったのだと思うがまあいい、こんなもんだろう。
明日はカミサンと、目的もなしに車に乗ってその辺を走ってみましょう、という予定になっている。
正月なんか、こんなもんでいいのだ。





