死のタイミングと家族の心構え:揺れる日常の中で


 その後、介護施設からの連絡はない。

 担当の医者から連絡があり、そろそろだ、とか、いよいよその時が来てしまったようだ、などと言われれば、誰だって驚くし、家族なら、喪主なら準備をしなければと思うだろう。

 私も妻も慌てて段取りをしたが、いいのか悪いのかその時はまだ来ていない。

 医者から連絡があった翌日はさすがに少し心配で、どうなったか介護施設の看護師さんに問い合わせをしてみた。するとお医者さんがいらした時よりも意識はハッキリとしており、新しく取り付けられたチューブに対して、この管は何だ?とか、話をしているのだという。

 悪い言葉で、わかりやすく言うなら、明日あたりそろそろ死にますよ、という感じの事を言われた個体が、こんな風になるのだろうか。

 しぶといにもほどがある。

 こうなれば、年金が支給される来月の15日まで、何とかがんばって欲しいものだ。というのは冗談だけれど。

 今までいろいろな事を考えてきて、ひとつのことがわかった。

 このように家族が逝きそうになったとしても、何も慌てることはない、という事実。

 死んだら死んだでいい。実際に死んだとなるのは、医者が来て死亡の診断をした時なので、それから動けばいい。

 今まで連絡をしていた葬儀会社に連絡をすれば、早ければ30分以内に引き取りに来てくれる。こんな風に時間の事が書いてあるのは、それだけ競争が激しいからなのだろう。

 葬儀会社で預かってもらい、同時に葬儀の段取りをすることになるのだが、私たちはこの葬儀をしないので、火葬場で火葬をする段取りだけをすればいい。

 かつての義父は太っていて、100キロを超えていたが、今は77キロらしいので、普通の釜で焼ける。そうなれば、枠も多い。震災の時のような待ちは、発生しないと思う。

 葬儀社と相談し、いつの釜かを決め、その時間になったら火葬場へ行けばいい。

 焼いてもらって骨をもらえばそれでとりあえずは終了。あとは松島へ海洋散骨すればいい。これは私たち家族の方針で、戒名もいらないし、墓にも入らない。墓は墓じまいをする予定でいるが、実はこれがかなりの鬼門と見ている。これはこれから考える。

 あれこれ書いたが、とにかく今は死にそうだといわれたのに死なない義父に対して、いろいろと考えているところ。

 カミサンはバイオリズムが変調してしまったのか、仕事でミスをし、怒りっぽくなっていると言っている。

 とにかく、早く片付いて欲しいのだが、なかなか思い通りには行かない。

 忙しい仕事の合間にこんな事を考えている。

 唯一癒されるのは、仕事時に見ることのできる、白鳥の群れだろうか。

 来週も月曜日から土曜日祭日までぎっしりと仕事だ。

 がんばろう。