昨日書き忘れてしまったけれど、5月14日は母の日だった。
母は約400キロ離れた東京にいるので、なかなか会うことができない。
今年はカミサンが気を利かせてくれて、お菓子を送ってくれた。
追跡番号を見ると、予定通り、昼前に到着したようだったので、午後からカミサンと二人で母に電話をかけてみた。
母は父と違い、あまり社交的ではなく、喋るのも苦手だ。でも、私たちとは仲がいい。カミサンとも仲が良く、カミサンも事あるごとに母のことを心配してくれている。
昭和10年産まれだから、もう88歳である。父は一つ上だから、89歳。超高齢化もいいところだ。
つい先日まで私たちと一緒に住んでいた、カミサンの父である義父は不摂生と好き嫌いと自分勝手から病気になり、さんざん家族に迷惑をかけた上、行政からは毎月百万円以上の金をせしめる生活をしている。もちろん元役人だから、申し訳ないとかそんな意識はなく、ごく当たり前の権利だと思って生活している。
一方で、私の親は、行政に何ら頼ることなく、買い物だけは近くに住む姉に頼っているようだが、何とか、本当に何とか元気に暮らしてくれているようなので、身内ながらたいしたものだと思う。
母とカミサンとが電話で調子よく喋っていると、その電話を父が横取りし、私と代わってくれと言ったらしい。母は電話も苦手で、このような機会でなければカミサンと話すことができないのに、父はそんなことわかっちゃいないようだ。
電話口の父は元気だった。
この前正月に行った際、電話機を取り換えてあげたのだが、それ以来、私によく電話がかかってくるようになった。内容はいつも同じで、暖房の使い方やエアコンの使い方など、私たちからすればどうでもいいような事なのだが、父にとっては重要事項らしい。ボケてはいないものの、同じような事を毎回聞いてきて、私が適当に返事をすると、たいした答えでもないのに納得して電話を切る。
もう少しで90歳なのだから、これでもいい方なのだろう。
私の周囲には、毎月100万以上というとんでもない金のかかる義理の父と、行政からは何の支援もなく、自分達で苦労して買った公団住宅に、仲が悪いながらも節約しながら、貯金もきちんとしながら暮らし続けている、私の両親がいる。
私は親に「金がない」と育てられたことに長い間恨みを持っていたが、実はこの事は最終的にはこのような結果を生むのだ。
私たちには迷惑をかけないようにと、年を取っても頑張って暮らしてくれている母と父に、あらためて感謝しなければならない。
夏あたり、何とか時間を作って、帰省できればと思っている。
電話口で父が行っていたが、今年、ジャパネットたかたで、エアコンを買い換えたらしい。ジャパネット、さすがである。