紅葉の季節である。
我が家の庭に植えられている「もみじ」や「かえで」は、毎年この時期になると、真っ赤に紅葉してとても綺麗である。
成長著しく、一部ではその蔓が悪さをし、庭に植えない方がいいとまで言われている「ふじ」の葉は、これまた綺麗な黄色に紅葉し、その葉はやがて庭に落ち、前述の赤い葉達と相まって、我が家の庭に日本庭園独特の風情を醸し出してくれる。
庭のあっちこっちから元気よく飛び出している藤の蔓も、綺麗な葉っぱを庭全体に運んでくれていると思えば、許してあげることができる。
数年前まで、私はこれらの落ち葉を当たり前のように掃除し、地域のゴミ袋にぎゅうぎゅうと入るだけ詰め込んで、ごみ集積場まで運び、廃棄するのが常だった。
これが庭の手入れだと思っていたのだが、昨年から少しその処理方法を変えた。
きっかけは、イギリス人のガーデニングのテレビ番組を見たこと。
日本には庭師という職業の人がいて、各種庭木の剪定をはじめ、綺麗に見せるための各種手入れをしてくれる、という文化がある。整えられた枝や葉、そして色づく紅葉には独特の美しさがあり、これは日本の文化として素晴らしいし、海外の方からも高い評価を得ていると思う。
テレビで見たヨーロッパのこの人の庭は、手入れに関しては日本のように神経質に行うのではなく、必要最低限の手入れがなされているだけだった。草や木は自然にまかせて伸びており、日本の庭に比べると、かなりナチュラルな感じがする。
そして驚くことに、その庭には、沢山の小さな虫や昆虫、鳥や動物までもが集まってくる。広さは私の家の庭よりも狭いくらいの感じなのに、である。
このように人間があまり手を加えない自然な形も、庭としてありなのだな、と、その時思った。
落ち葉は少し時間はかかるものの、その後は姿を変え、立派な腐葉土になる。昨年私は、我が家から出た落ち葉をゴミとして出すのではなく、今の時期は休みになっている畑を使って、腐葉土を作ってみようと思った。
落ち葉には、木の枝から落ちた後は栄養豊富な土となり、自然を潤すという本来与えられた大事な役割がある。そうなる予定の落ち葉をわざわざかき集めて、ゴミとして出してしまうのはもったいない、ちょっと違うのかもしれないよな、と思ったのである。
今年は夏野菜を作らなかったので、栄養分がどうだったのかの検証はできなかったが、我が家の畑は新しい土を買って入れるでもなく、自然な状態、の、いい感じとなったと思う。
今年の秋は、キムチを作るための白菜を植えてみたが、それなりに葉っぱが広がって育っている。結球といって、丸くまとまってくれるかはわからないが、とりあえず作物は元気に育っている。
これが自然本来の営みなのだな、と、小さい我が家の庭と、畑を見て思った。
街の街路樹の落ち葉は毎年その処理が大変で、誰からもけむたがられてしまう。本来、土に栄養を与える役割があるのにもかかわらず、その力を発揮する場所がないため、こんな風に扱われてしまう。先進国はエネルギーを莫大に消費する一方で、このように少し違った形のエネルギーを知らぬ間に捨ててしまっているような気がする。
私達の便利な暮らしと自然が完全な形で共存できれば、それが一番いいのだろう。しかし今の時代、私がかつて住んでいた、自然豊かな島と言われる屋久島でさえも、道路には完璧にアスファルトが敷かれている。
自然と人間の便利な暮らしとに折り合いを付けるのはとても難しい。
私個人的には、人間が便利な生活に対して、もっと妥協しなければいけないとは思うのだが、口で言うのは簡単でも、いざ実行に移すとなると、それは難しい。
できることから少しずつ、世界中のみんなで取り組んでいくしかないだろう。