崇高には届かなくても、書き続けるという生き方

 五木寛之がテレビに出ていた。

 まだいくつかの連載を持っているのだという。

 社長が使うような広い机の上には広辞苑と原稿用紙と万年筆。

 やはり手で書いている。

 かっこいい。憧れる。このようになれれば、今の私の悩みは解決するのではないか。

 単純な私は、改めて物書きになれないかを考えてみた。

 数十年ぶりに頭の中に出てきた文學界という本。これの新人賞に応募してどうにかなって名前が売れなければ夢は叶わない。

 ということで書き始めてみた。

 でも、上手く書けない。数行書くと行き詰まってしまう。昔から何度も言っていて自分自身でもわかっているのだけれど、小説という物語を書くのは苦手なのだ。登場人物を設定してその人たちを描ききることができなければ、小説ではない。

 私ができるのは、あくまでも自分の考えている事をこのように書き連ねること。これではマスターベーションの域を出ず、文學界の審査に引っかかる事などありえない。

 過去に文豪と呼ばれている小説家たちは、哲学者のような強烈な考え方を持っていて、それを自分の小説で表現することで人の心を動かしてきた。三島由紀夫とか石原慎太郎とか、自分の中へ深く潜ったり、はたまた現実社会を見つめて外へ勢いよく出て行ったり、このような色がなければダメだろう。

 私なんかは、サラリーマンを辞めて好きなことをやろうと屋久島に行ったまではよかったものの、その後は結婚したことで勢いがなくなってしまった。好き勝手にやってきた自分を棚に上げ、サラリーマンで辛い思いをしながら頑張ってきた事の代償を受け取っている同級生達を今さらこんな風に嫉んだりして、自分でも自分が嫌になってくることが最近多い。

 消費生活アドバイザーという仕事を目指すことになった自分の内面を描いてみようかなと思っても、なぜか上手く描けないのだ。

 文學界の新人賞に応募する際、原稿に表紙をつけるのだが、この表紙の一番最後に⑩ 略歴(学歴・筆歴)というところがある。ここへ、東京都立神代高等学校卒業 日記猿人 最高獲得票30票(屋久島のとびうお漁師の日記帳) 脱サラ先は屋久島とびうお漁師 出版(文芸社) カクヨム(紹介URL) ひろしの日記(紹介URL 独自ドメインにて継続中) と書けた事だけで、自己満足なのであった。肝心な作品を書けないので、この記述が日の目をみることはおそらくないだろう。

 そんなこんなで、私は相変わらずこのような駄文Web日記を独自ドメインで続けることに生きがいとやりがいと自己満足を感じ、今日もこれを書き続けている。人間好きなことを続けていくのが一番いいのだ。崇高な所へは行けないけれど、このような草の根で何とか続けることに意義があると自分で納得している。

 今日は午後から4月からの勤務先に呼ばれている。ここも長い間勤めたいとは思うものの、それも叶わない感じがしていて、気持ちは予断を許さない不安定な状況が続いている。

 この中途半端な感じが、私の人生なのであろう。