高校生の頃、玄関に中年女性がやってきた。
「この世界はどうやってできたのだと思いますか?自然にできると思いますか?」
そんな質問から誰かが創ったのだという話になり、エホバの神様が創ったのだという話になり、聖書を研究しましょう無料ですから、という話になり、どういう訳だか私はこの組織に足を踏み入れることになってしまった。
そもそも、父親の妹が熱心な信者で、私にあのテの本を渡して密かに布教されていたというベース、裏事情もある。ちなみにそこの息子は、幼稚園に行っていない。
多感な高校生の頃だ。エホバの証人はいろいろと難しい。
体育での柔道ができなかった。先生に言いに行くのがとても嫌だった。
恋愛もできない。好きな女性がいたけれど、告白しなかった。
自慰行為もダメだった。何せ高校生である。これはよく掟を破ってしまい、自責の念に苛まれていた。
当時吹奏楽部でバリサクを吹いていたが、この組織は指導者がおらず生徒のみで運営されていた。曲決めやその他諸々で運営がぎくしゃくしており、私は人間のやることはすべて上手く行かないから距離を取った方がいい、という教えがあったことから、一年で退部した。女の子が何人か泣いてしまった。当時の合唱祭でクラスや学校全体の指揮を任せてもらっていたとか、これが縁で隣にあった桐朋女子の音楽の先生と知り合うことができたりとか、今となって思い出してみるとそれなりの高校生活だったのだけれど、この教えが邪魔をした。
高校は進学校で、浪人をして大学へ行くのが普通だった中、私は東京トヨタへ就職した。その後はこの通り。
この教えの中で中核となるのが、終わりの日が来るということ。彼らの聖書の解釈によれば、世の中は第一次世界大戦がはじまった1914年以来、終わりの日となっている。この日から「一世代の間」に終わりを迎える。ハルマゲドンが起こり、エホバの証人のみが救われる。やがて地上は何も不自由のない、歳を取ることもなく暮らすことができる楽園となり、そこで永遠の命を享受することができる。と、まあこんな感じだろうか。
この仲間に入るためには、エホバの証人となり、証言活動をしなければならない。家から家を回って、エホバの教えを説いて、待っている人を救済するということなのだが、私はどうしてもこれができなかった。嫌だった。
高校2年の頃だろうか、RG250γ、ガンマというバイクが発売され、こちらに傾倒するようになったので、自然と信仰は薄れていき、今に至る。
でも、私に輸血する状況が起きたとしたらわからない。おそらく拒否すると思う。血を入れるくらいなら死んだ方がいいと思っている。やっぱりまだ変なのだ。
今の世界情勢、まさしく聖書の世界である。馴染みのない私たち日本人には理解しがたい側面が多々ある。こんな所で、かつての知識が役に立つとは驚きなのである。
おそらく日本政府なんか何もできないまま時は過ぎていく。
そして、この世は終わりを迎える。
こんな風にならないことを切に願っている。





