今年のゴールデンウイークは、久しぶりに安心して休むことができている。
新卒で入社した東京トヨタは、ばっちりゴールデンウィークは休みだった。この休みを利用して屋久島に行ったり、友人と旅行に行ったりしていた。今から思ってみれば景気がよかったということなのだが、当時はそんなことは知ったことではなく、休みは休みで、その上で毎月のお給料が「当然」もらえるものだと思っていた。
屋久島に行って漁師になると、完全出来高制の「計算」になった。一番はじめに行った年の2月だか3月だかに30万円もらって、この調子なら自分の土地に家を建てられるかもしれないなと思っていたが、そう甘くはなかった。
台風が来ると何日も漁に出られない。出られなければお金はもらえない。
とびうおの値段も時期によって変動する。当初は一番よかった時期であって、その後はよくて15万とか、悪いときだと月に数万円なんて月もあった。この中から社会保険や税金などを払うと、暮らしていくのがやっとの状況だった。後半の生活においては、インターネットも黎明期であり、離島からの接続料金はそれなりに高かった。一月に3万以上はざらで、家計は大変だった。
タンクローリー時代も、休日に仕事をしていた。入った会社は夜間配送を免除される代わりに、休日に台数を出してくれ、と、かつての新日本石油から言われていた。子供のいる同年代の同僚は、殆ど休日は休んでいたようだが、私は率先して仕事をした。妻も接客業で働き出したので、平日休みの方が都合が良かったということもあった。
自営業では、休みなんて概念はなかった。毎日毎日パソコンに向かって、いろいろとやっていなければ売上が立たない、生活できないという恐怖に、毎月襲われていた。毎月やって来る支払いをどうするか、それをどうやって乗り切るか、今思い出してみても胃が痛い。妻の実家暮らしで二人で働いているのに新しい車も買えない、と、喧嘩をすると妻が言うようになった。今から考えると申し訳なかった。
バイトで入った運送会社は、いつまでもバイトだった。なろうと思えば正社員にはなることができた。家で仕事をしていることを理由に、私の方からそれを拒み続けた。社員は所詮会社の一員であり、会社の都合のいいように使われてしまうのを間近で見ていた。一応社員にボーナスはあったようだが、私のそれはバイトの身であったが故、自動車税も払えない程度のものだった。当然、ゴールデンウィークは休みであったものの、休めばそれだけ手取りが減っていくという恐怖に常に襲われていた。
しかし還暦と同時にこんなことになった。親の介護を理由に運送会社を退職し、紆余曲折の末に辿り着いた今の仕事。ゴールデンウィークはカレンダー通り休みのうえ、時給ではないので毎月のお給料は変わらずにいただけるのだそう。いつまで働けるのかがはっきりしないという事はあるけれど、身体が動くうちは、もしかすると大丈夫なのかもしれないという感じがしている。
そして今、何故だかこの歳になって安定してしまっている。いいのか悪いのか、自分がやりたいことをやってきたのと引き換えに、金銭的にはどん底の人生を歩んできた身から言わせてもらえれば、正直信じられない状況だ。こんな状態は実に30年ぶりかもしれない。いつもいつも金がない金がないと親に言われ続けたが故に、なのかはわからないが、自分自身も金がないが口癖になってしまい、ここまで生きてきてしまった。
カミサンには本当に申し訳ないことをしたと思っているので、何とか新しい車を買いたいなどと思っている。
昨日は歯医者に行き、顎骨骨髄炎で抜けてしまった歯の後に、ようやくブリッジを入れることができた。上下二つなのでそれなりに費用がかかったが、何とか借金をせずに入れることができた。
今日は朝から、家の車のブレーキパッドを替えていた。通販で夏タイヤを買い、自分で組んであったので、冬タイヤから履き替えた。
このブレーキパット交換も、ディーラーや量販店に頼むと、部品代と工賃と、それ以外のローター研磨とかパッドの面取りとか、そんなに必要のない整備を奨励されたりするので、結果的に2万とか3万とかになってしまう事がある。
私はパッドをMonotaROで買った。1000円引きのクーポンと10%OFFの日を狙って注文し、3155円で日立製のパッドを入手した。ブレーキ整備用の工具や耐熱グリスやブレーキフルードを抜くシリンジなどは、6年前に買い揃えていた物達が役に立った。
何だかんだ言っても、やはり私は心の底から金には困らないとか、満足の行く人生とかに辿り着くことはできないようだ。
何だりかんだりに対して常に高いと思ってしまい、自分でできないかを考えて、自分でやってみて失敗し、結局損をする、なんてことを繰り返すのが、私の人生なのだ。
今回はまぐれだろう。





