もし屋久島に住み続けていたら──介護と距離と現実のはなし 公開日:2025-05-09 介護屋久島日記 あのまま屋久島に住んでいたら、今頃大変なことになっていたと思う。 最初屋久島に行ったのは30歳の時。この時はまだ、親も元気で屋久島に遊びに来たりもしていた。 あの時の親の年齢と、今自分が同じ位の年齢になってしまった […] 続きを読む
収益化に取り憑かれて25年――YouTubeもTikTokもやってみたけれど 公開日:2025-05-08 eBayセラー海外販売家での仕事屋久島日記 昔から収益化には興味がある。 何を隠そう、25年以上前に書いていた「屋久島のとびうお漁師の日記帳」俗称「とびうお日記」では、これが本にならないかとか、読者から購読料がもらえないかとか、そんなえげつないことばかりを考え […] 続きを読む
海上コンテナ配送で訪れたキャンピングカー工場と、過去の思い出 公開日:2025-03-17 大型トレーラー運転手屋久島日記 仕事で今日は海上コンテナをお隣の山形県村山市に配送する仕事を仰せつかった。 輸入され、中身の入ったコンテナをトレーラーに繋ぎ、配送先まで運転して行くのだけれど、そこは山形の雪深いところの一つで、しばらく行ったことがな […] 続きを読む
58歳、将来への不安と向き合う日々—屋久島の思い出と現実の狭間で 公開日:2024-08-20 屋久島日記 屋久島に行った頃は、将来のことなんか何も考えていなかった。 この先は、適当に年を重ねて、それなりに暮らしていくのだろうと、単純に考えていた。 しかし、ここ最近になって、将来への不安がかなり強くなっている。年齢は58 […] 続きを読む
あの頃、TikTokがあったなら 公開日:2024-05-08 屋久島日記 私が会社を辞めて、一回目屋久島に行ったのは1996年だと思う。 1966年3月生まれの私が、30歳の時だ。 当時は携帯電話がかろうじて普及し始めた頃で、屋久島の海の上では繋がらないこともあったし、島の中も万全ではな […] 続きを読む
結婚できたのは、「書いていた」から。 公開日:2024-04-03 屋久島日記 振り返れば、25年位前から、こうやってネットの日記を書いている。 屋久島のとびうお漁師はトレーラー暮らし、というサイトの中で、屋久島のとびうお漁師の日記帳、というコーナーを作り、ここで書き始めたのがはじまりだ。 当 […] 続きを読む
流行に乗る 公開日:2024-04-01 家での仕事屋久島日記 かつて、「屋久島のとびうお漁師はトレーラー暮らし」のサイトを立ち上げ、運営していた時は、時代の最先端を行っているという自負があった。 今では死語となっているヤフーカテゴリーに登録され、ヤフーの検索結果では上位に表示さ […] 続きを読む
【屋久島からの手紙】時代の流れに乗れない私の悩みとは? 公開日:2023-12-17 屋久島日記 時代の流れに乗っていると、調子がいい。 あまり乗ることができないと、調子が悪い。 屋久島にいた頃は、インターネットの黎明期を走り抜けていたと思う。 ホームページがヤフーカテゴリーに登録され、屋久島と検索すると1ペ […] 続きを読む
屋久島 公開日:2023-12-13 屋久島日記 オスプレイが屋久島沖に墜落した。 あの辺りは、かつて私がとびうお漁師をしていた頃、とびうお漁をしていた海域。 米軍が来て、捜索に出るため、船外機付きのボートを発着させたり、回収した部品を引き揚げたりしているのは、屋 […] 続きを読む
結果が出る ということ 公開日:2023-09-05 屋久島日記 今まで、自分が好きで、時間を忘れるほど一生懸命になってやってきたものは、きちんと結果が出ている。 東京での生活を嫌い、屋久島での田舎暮らしをはじめたこととか、そこでの暮らしをインターネットで発信したり、魚を通販でお裾 […] 続きを読む