ぜんまいの置時計

 少し前、古い家を整理したら出てきたという、古いぜんまい式の時計をメルカリで買った。

 素材はプラスチックだが、赤くてデザインがかわいくて、見ればすぐに、時代物だということがわかる。

 決して安い買い物ではなかったが、ちょうど目覚まし時計をもう一つ欲しいと思っていたので、ちょうどいいなと思いながらこれを購入した。

 時計は無事に到着したのだが、この時計は動かなかった。

 ぜんまいが巻かれたまま、動かない状態の商品だった。

 メルカリなので、商品ではないけれど、せめて説明には書いておいて欲しかったな、と思っても後の祭り、自分が確認しなかったことがいけなかった。

 カミサンにも気に入ってもらえて、今、この時計は、我が家の玄関先に置いてある。カミサンは敷物が好きなので、100円ショップで敷物を買ってもらい、義父の息がかかった北海道の熊の置物に代わって我が家の新しい顔となった。

 しかし、動かない時計は気になる。

 私がバラして分解して直る物かどうか、わからない。

 こんな時にはインターネットである。

 早速検索してみると、おもちゃのぜんまいを修理している人や、アンティークの時計を専門で修理している人、骨董品全般を扱いながら、古い時計を修理して販売している人など、いろいろな人が情報を発信している。

 私も一時期はカメラを修理して販売しようとしたり、車もあの通り、修理を繰り返しながら35年以上も同じ車に乗り続けている事が証明しているように、このような古い時計にはそこそこの興味がある。

 でも、好きこそものの上手なれ、が通用するのは、今のところポンコツのランクルだけだ。

 私は何にでも興味を示し、何とか取りかかることもあるけれど、大抵詰めが甘く、中途半端で終わってしまう場合が多い。今回、この時計をバラしてみたところで、おそらく結果は同じだろう。

 中には時計のコア部分がある。それがどうなっていて、どうしなければならないのか、本能的な感覚を頼りに、知恵を絞りながら作業をしなければならない。必要であれば部品を探したり、製作しなければならない場合だってあるだろう。

 こうなってくるともう、私はお手上げなのだ。

 例えばぜんまいがひっかかっているだけで、ちょっと引っ張ってあげれば直るとか、その位のレベルならまだ何とかなるのだが、時計は部品が細かい上にとても多く、老眼も進んでいる今、なかなかどうして、思うように分解修理は進まないと思う。

 かといって、外注に出すほど、経済的な余裕はない。

 おそらく一度バラしてみて、自分ではどうにも修理できないことを確認した上で元に戻し、そのままになるという公算が大きい。

 しかし、いろいろな分野にプロフェッショナルやアマチュアがいて、それぞれの世界を持ち、情報を発信してくれているのは興味深く有難い。

 私もお金と時間が許すなら、時計の分解修理を本格的にやってみたいと思うのではあるが、今もこの先も、これを本格的に取り組む余裕は、経済的にも精神的にも物理的にも残念ながらないだろう。

 結局は興味を持って終わりになってしまうのだが、この辺りを突き詰めてプロになれれば面白いと思う。でも、その道は険しい。

 結局は、いろいろな物に興味を示し、大きく損をしない程度に、適当に手を出してみて、趣味の範囲でやっていくのがいいのだろうな、という結論になるようだ。

 でも、この時計が動いたらいいのにな、と、玄関を出入りする度に思ってしまう。この思いがなくなるのが先か、それともオーバーホールを外注する事になるのか、またご報告したいと思う。