中学生の頃から、手帳を持ち歩いていた。
忘れ物をしないように、毎日、明日持ってこなければならない物を書いたり、その日にあったことなどをいろいろと書いていた。今思い出せば、この頃から万年筆を使っていたように記憶している。
何ではじめたのかは忘れたが、この頃は多感で、いろいろなことに興味があり、健康やらビジネスに関する本などを読んだりしていたので、その中にでも書いてあったのだと思う。
私の人生の中で、一番頭が良かったのがこの頃である。もしかすると、手帳を持って活用することと、頭の回転の具合は、シンクロするのかもしれない。
その後は特に記憶がないのだが、高校に進学したときは持っていなかったと思う。社会人になってからは手帳ではなく、業務日報のようなノートがあったので、これにやることをメモしていた。
その後は会社を辞めて屋久島に行ったり、戻ってきて佐川急便で働いたりしていたのだが、手帳が必要になるような状況はなかった。
こっちへきて、運転手稼業の傍ら、インターネットの仕事をするようになると、やはり時系列立てで何か書くものが必要になった。漠然と何か欲しいな思っていたところ、年末にカレンダーを買いに行ったロフトにあった「ほぼ日手帳」なるものが目に留まり、これを試しに買って使ってみるとなかなか具合が良かったので、数年間、これを使っていた。
しかし、ほぼ日手帳はいいのだけれど、手帳にしては値段がかなり高い。インターネットの仕事も怪しくなり、借金が増えてくると、この値段の手帳を買うことができなくなり、ここ数年は100均のカレンダーと手帳で済ませるようになっていた。
年末にはカミサンと街へ出て、部屋のカレンダーと各々の手帳を買うのが恒例になっていたのだが、私の事業の失敗と、コロナ渦も手伝って、この慣習は自然消滅という形でなくなってしまった。カミサンは手帳から、スマホのアプリでの管理に移行し、手帳を買うことはなくなった。私も彼女に追いつこうと試みるも、どうしても端末での管理は受け入れることができず、やはりいつかはきちんとした手帳が欲しいなと思っていた。
今年は借金もそこそこ返済し、何とか今後の生活の目処がつき、将来に向けて再びインターネットの仕事をしようと前向きに取り組んでいる。その流れで、いよいよ再び100円のものではなくて、きちんとした手帳が欲しくなった。
時代は流れ、ほぼ日手帳も今は、街に出ずともAmazonで簡単に買うことができるようになった。昔買った革の表紙があるので、中身だけを買えばいいのだが、今回見てみると、英語で書かれたものが無性に欲しくなってしまった。
価格は約三千円なのだが、貧乏性で、果たしてこの値段で買っていいものか、今まで100円の手帳だったのに、数十倍もの価格がするものを買ってもいいものか、いざ買おうとすると良心に苛まれるのである。
Amazonの画面を見ていると、いつもは目にもとめない、カード発行の広告が目に入った。カードを作るとポイントがもらえる。そのポイントで手帳を買えば、実質無料ではないか。私としたことがこんな所に引っかかるとは思っても見なかったが、良心との戦いへの終止符を打つため、これに挑戦することにした。
今はとても簡単にカードの申し込みができるようになっているのに驚いた。
運送会社には9年近く勤めているので、申し分ないだろう。支払いが滞ったこともない。家は家族の持ち家で居住歴は20年以上、家賃支払い義務はなし、子供なし、などなど、入力していくと、簡単に申し込みをする事ができた。かつては面倒臭かった引き落とし銀行の確認も、今はインターネット経由でできるようになっていたので、時代の流れを感じた。
昨日審査結果がメールで送られてきて、めでたく審査合格、カード発行オッケーと相成った。昔では考えられないことだが、発送された時に、追跡番号を知らせてくれるという。それなら面倒な書留の受け取りも問題ない。
これでポイントゲットと、手帳ゲットが叶う。
たかがカードの申し込みではあったが、いろいろと時代の流れを感じずにはいられなかった。
手帳は道具の1つに過ぎないのかもしれないけれど、「ほぼ日手帳2023 英語版」を持つことで気分が上がり、やる気になるなら、価値のある買い物だと言えるだろう。
こんな形で手に入れることになったわけだが、何とかこの手帳をきっかけに、自分をきちんと管理し、中学生の頃のようなパワーを引き出せればと、今からちょっとだけ期待している。
全ては自分、自己管理なのだが、歳を取ってくると、それさえも難しくなってしまう。何とかこいつの力を借りて、来年は、いや、今からがんばってみようと思っている。