70歳を過ぎた同僚が、配偶者の親の介護をするという。
実家は300キロ以上離れた所にあるので、役所をはじめとする様々な手続きをするには、会社を休まなければならない。
70歳を超える同僚の親なので、相当な歳なのだとは思うが、一人暮らしで、要介護認定もされていない。詳しくは聞いていないけれど、地域の民生委員だかケアマネだかがケアしてくれているらしい。でも、それも限界で、家族がどうにかしなければならない状況になっているのだという。
同僚の奥さんには弟がいるらしいのだが、結婚もせずに一人、しかも海外勤務なので、こちらには頼ることができず、娘が見ることになるのだという。このあたりは家族それぞれで事情があるのだろうが、事情がどうであれ、大変であることに変わりはない。
我が家もさんざんとコンテンツを発信させていただいたが、一緒に住んでいた義理の父は今年の6月から介護施設に入っている。腕からの透析ができず、ペースメーカーも入っているので他の場所からもできず、最終的には腹膜透析になり、この医療行為をしながら入ることのできる施設なんてあるのだろうか、あっても一体いくらかかるのだろうか、などと、今年の春先はこの事でさんざん悩むことになった。民間病院と介護施設とのしがらみをかいくぐるのは、とても嫌な思いをした上に、思った以上にストレスフルで面倒くさかった。
結果的には24時間看護師が在駐する良心的な施設が見つかり、そこへ訪問医療をしてもらうという形で落ち着いた訳なのだが、これも綱渡りだった。今でも綱渡りである。
今話した義父の状況だと、国や自治体から様々な医療の補助がある。例えば、医療費はその事業者毎に会計が月一万円になる上に、その一万円さえも戻ってくるというような、健常者では考えられないような病人に対する仕組みが数々存在し、義父にはそれが適用され、結果的に私たちはその制度に助けられている。
元公務員だった義父の、考えられないレベルの年金と、これまた考えられない行政からの補助の仕組みがあったとしても、このように綱渡り状態である。普通の人が普通に年老いてサービスを受けようとしても、今回の同僚のように、とても大変な現実が待っている。
私の東京の実の親も今は夫婦で何とか暮らしてくれているが、この先はどうなるのかなんて、全くわからない。真面目にやろうとすると、自分の生活を犠牲にすることになってしまい、人によっては鬱状態になったり、今まで必死になってやってきた仕事を辞めなければならなくなったりするのが現実だ。
街を走っていると、介護関連の施設が沢山ある。おそらくこれからしばらくが最盛期であり、その後は人口としての人もそうだし、介護する人もいなくなって、介護ビジネスは語りぐさになっていくような気がする。
子供を増やそうとしても増えない、かといって移民には消極的、これではこの国の行く末は明るいとは言えない。
今回、岸田さんが内閣改造を行ったが、果たしてこの先の日本はいかに、なのである。と、また今日も、不穏な終わり方になってしまい、申し訳ない次第なのである。何かパッとした、この先の日本が光り輝くような話題がないものだろうか。