実家より長い

「ひろし、世田ヶ谷から日野の実家に引っ越したのは何歳のとき?」
「小学校5年生の夏休みだから、10歳の時だな」
「それじゃぁ、こっちの方がもう、実家より長いんだね」
「まじか。ん、そうなるな…」

 昨日カミサンが唐突にこんな事を聞いてきた。

 言われたとおりで、確かに日野の実家で生活していたのは、小学校5年生の夏休みから、高卒で就職した東京トヨタの12年目、30歳の時までである。

 その後は屋久島に行ったり、再び実家に帰ってきて佐川急便のセールスドライバーをしたりもしたが、これも2年程度。

 結婚して宮城県に来たのが2000年だから、もう既に24年も経過してしまったのだ。

 時の経過は早い。

 歳を取るはずだ。

 58歳なんて、一昔前の定年だ。

 私もカミサンも若作りで、年齢よりも若く見られることが多いけれど、カミサンは何度も大病をして入退院を繰り返し、今では高価な薬がなければ生きて行けないような状況だし、私だって先日の健康診断で引っかかりまくりで、来月には胃カメラが待っている。将来を考えて、コレステロールを下げる薬も飲むようになると思う。

 身体は歳相応のポンコツなのだ。

 取り巻く状況はあまり変わっていないが、予断を許さない。

 私の両親は何とか行政の支援も受けることなく、近所に住む姉の力などを借りながら、何とか日々の暮らしを営むことができているが、もはや90近くになるので、いつどうなってしまうかわからない。

 義父は要介護5の寝たきりで、腹膜透析をはじめて一年になる。提供される食事には手を付けておらず、医者から処方される栄養剤で生き延びている。

 ここ10年位、私たち夫婦は温泉旅行などのレジャーには出かけていない。

 私の両親が元気だった頃には、年に二回、関東周辺の温泉旅行に行っていたのだけれど、両親も外出がままならなくなり、これも行くことができなくなった。

 私の経済状況は相変わらずで、借金をしたり返したり、毎日の暮らしと、こちらには必須、二台の車の維持と、インターネット関連の毎月の支払いとで、かつかつである。

 そんな状況を打破するべく、いろいろと副業、いや、自分的には、本業と思っているネットビジネスをいろいろとやっている訳だが、これもなかなか花が咲かない。

 今はTikTokの動画を作っているが、これもこの先、著作権や肖像権、言葉の使い方など、いろいろな難しい問題が出てきそうな気がして、心が安まる事はない。第一、収益化の条件であるフォロワー1万人を達成しなければ始まらない。なかなかハズりも難しいし、これは長い道のりだ。

 私も今の運転手の収入が得られるのは、よくてあと15年、おそらく10年位だと考えている。

 カミサンだって、同じだ。

 今、私には貯金がない。将来の蓄えもかつては150万位あったものの、独立した際の仕事の運転資金で使ってしまった。

 時の流れるのは、思った以上に早い。

 特に、歳を取ると早い。

 よく言われるけれど、ほんとうに早い。

 とにかく、やってくる一日一日を大切に過ごしていかなければならないと、生きていくための思いをあらたにした次第である。