家族葬

 昨日夜、義父の手術を明日に控え、カミサンは病院側から用意するように依頼のあった同意書や書類を準備していた。

 合併症だか感染症だか忘れてしまったが、とにかく臓器のあっちこっちが悪いので、最悪は死んでしまう可能性もあると言われている。

 もしかして明日死んでしまったらカミサンも困るだろうな、と、私はスマホで葬儀会社を探すことにした。もし死んでしまって、病院から紹介のあるような、とんでもない価格の葬儀社に渡ってしまっては、我が家の家計が持たない。

 このような日本独特の、なかなか表には出てはこない、もしかすると影でお金も絡んでいるかもしれない面倒くさい事に、私はかなり敏感だ。

 幸いにも数年前、我が家から信号数個程のコンビニ跡地に、地元企業の葬儀場ができた。銀行に行くときなどに時々観察しているのだが、結構賑わっている。

 検索すると、広告の下に公式サイトがすぐに見つかった。さすがプロ、検索者の意図をよくわかっており(当たり前だ)、24時間対応の電話番号や、資料請求のフォームが、わかりやすく設置されている。参考までにの口コミも4.7とすこぶる良い。

 電話も嫌だなと、資料請求のフォームに入力して送信すると、数分後にすかさず、電話がかかってきた。

 もうすぐ死んでしまうかもしれないので、法律に抵触しない最低限の費用でやりたい、と、当方のニーズを書いておいたら、担当の女性が慣れた口調で全てを説明してくれた。

 かつて140キロあった時には、棺に入るかどうかが心配だったが、今は100キロはないので、何とか大丈夫だろう。

 資料請求した人割引で、全て込みで10万円程度で、病院からの運び出し、棺に納めてドライアイスを施した上、安置所での保管、焼却場での焼却、までをしてくれるのだという。

 その他はオプションのようだったが、とりあえずイメージができたのでよかった。

 檀家に入っている寺がこれまた面倒臭そうなのだが、私達には子供もいないし、古い日本の檀家制度はもう必要ないと思っているので、最終的にはここから抜けようと思っている。遺骨を動かすのもいろいろと面倒なようだが、段階を追ってやっていけばいいだろう。

 手術は成功するのか、それとも合併症が起こるのか、成功しても透析になるのかならないのか、全ては手術後の経過による。

 カミサンには負担をかけてしまい、申し訳ないと思っている。当の本人は、全てが自動的に進んでいると思っているのが、これまた腹立たしい限りだ。全てはカミサンの力で執り行われている事を、何とかして知らしめてやりたいのだが、そんなことを考える器ではなく、娘は尽くして当たり前的な、古い日本の横柄な、典型的な昔の父親なのだ。

 一方で、私の親の方は、自分達の葬式について、数年前に話をされている。現金で100万円用意してあるので、これを使ってやってくれと父から言われている。母は葬儀の時に使えるようにとの貯金だか積立てだかをきちんとしており、これを使ってくれと言われている。実家に帰った際、一緒に来てくれと言われ、両親と一緒に葬儀社に行き、見積もりをもらい、担当者の名刺をもらい、死んだらすぐに、とにかくすぐに、私の所に電話を下さい、と言われている。その方の名刺は私の財布の中に入っている。

 双方の親がまだ生きているが、全くもって大違いなのである。

 私は葬儀会社のフリーダイヤルを、いつもカミサンが買い物メモに使っている紙に書き、「死んだらここに電話してね」と言いながらカミサンに渡した。

 カミサンは疲れと苛立ちに満ちた表情を一瞬緩め、いつもとは内容の違う買い物メモを私から受け取った。
 
 メモを受け取り、その内容を確認した彼女の表情は、心なしか微笑んでいるようにも見えた。