書類が揃った。
注意書きのなかった職務経歴書はパソコンで印刷。履歴書は注意書き通り無印の黒いペンで手書きをした。小論文は2Bのハイユニを使って、これまた無印の小さな鉛筆削りで芯の先を削りながら書いた。
履歴書、職務経歴書、そして小論文。
先日から考えていた通り、小論文は全て自分で考えて書いた。私にしては珍しく、何度も何度も推敲した。いかに今書いているこれが適当かがよくわかった。読んで下さっている方に対して、いつもありがとうございますと感謝の思いを新たにするとともに、拙い文章を読ませてしまって申し訳ないなと思った。
還暦間近の人生を振り返るいい機会になった。
ほぼ全ての友人達が予備校⇒大学進学を目指す中、私は東京トヨタというディーラーに就職した。2浪した友人もいるので、彼に比べれば、6年間は余計に年金を払っている。働きはじめた当初、保険や年金などの意味もわからず、なんでこんなに手取りが少なくなってしまうんだろうな、と思いながら生活していたことを思い出した。
今となってはこんなことを考えてしまうが、書き出せばそれなりの人生を歩んできたと思う。
カミサンには、あのまま東京トヨタに勤めていればね、なんて事を言われたこともあるけれど、私は私なりの環境の中、自分でその都度、将来後悔しないようにと思いながら人生を選択してきた。
今になって行政のこの仕事をしようと思い立ったのも、その延長。
カミサンは正社員だった時期が殆どないので、年金があまりない。私だって6年早く納め始めたかもしれないけれど、その後は免除申請をしたり、という状況がある。
年金に期待できない状況で生活していくには、働くしかないのだ。どうすればそれができるのかを考えたのだった。
この資格を持っていてキャリアを積むことができれば、年齢を気にすることなくそれなりの期間働くことができるかもしれない。仮にここを追い出されたとしても、実家の近くでも、人が生活している限り、同じ仕事はおそらくある。普通に事務仕事をするよりも、そこそこのレベルだけれども、時給はいい。普通の仕事の場合は働きやすいと思われる求人が出ると応募が殺到して、就業できる確率は低くなってしまうので、結果として働くことができないとか、働くことができても条件が悪かったりとか、当然このような状況となるが、この資格取得のハードルを越えることができれば、その懸念もそれなりに払拭される。
運転もいいにはいいけれど、雪道の走行や、衰えてくる身体に対して、抗うことができないというジレンマがある。いくらキャリアを積んだとしても、事故に遭うときは遭ってしまう。夏タイヤの乗用車が雪道の峠を越えようとしていて、たまたまその後ろについてしまえば、私がひっかかって、それこそ話題になっている立ち往生の先頭になってしまうなんてことも、普通にありえる。ないのが普通ではなくて、こうなってしまう可能性は極めて高い。みんな驚いているが、ホワイトアウトなんかこの時期普通だ。チェーンを巻いたって、一度止まってしまうと乗用車とは違って、動けなくなってしまうという特性は、経験してみなければわからないだろう。
仕事をしていた時はあまり思わなかったけれど、やはりこの先続けて行くにはリスクが高すぎる。最終手段にしたいと思ったのだ。
そんなことを考えていたこの頃だったが、ようやく書類が完成して一段落ついた。あとは合格したという証明を持って、ハローワークに行き、紹介状をだしてもらって、その足で応募という予定だ。
介護の方でも、明日は実家に取り付けてある見まもりカメラのWi-fiが3Gなので、差し替え用に届いている4Gのものに取り替えて来る予定だ。ついでなので、特養にいる母にも会ってこようと思う。また、玄関にもWi-fiで監視できるカメラを取り付けようと思っている。ということで、始発の新幹線で行き、18時頃には帰ってくる予定だ。
これだって、父や母や姉が元気で、いろいろとサポートしてもらっているからこそできるのであって、今までの私の状況では、新幹線代など絶対に出ないし、かといって夜行高速バスではいびきで周囲に迷惑をかけそうで、にっちもさっちも行かない、ということになっていたと思う。
とにかく最後まで、後悔しないように行きたいと思う。
あらためて、貯金をしてくれていた両親と、口をききたくもない、話したくもない、顔も見たくない父に対峙してくれている姉に感謝したいと思う。





