洗濯が怖い――父の不安と老いの兆し


 オヤジから電話がかかってきた。

 ここ数日、体調が優れず、よく寝ることができないという。

 どうしてだ、何かあったのか、何の病気なんだ?との問いに対するオヤジの答えは意外なものだった。

 「洗濯ができなくてよ…」

 母が病院に入ってから、オヤジなりに暮らしてきてはいるが、洗濯ができないのでそればかりを考えてしまい、体調が悪いのだという。

 地域にはお助け隊という、高齢者の家事を手伝ってくれるシステムがあるのだが、ここにいらっしゃるスタッフの方がお二人とも体調不良で来ることができないのだという。

 洗濯ができないので、体調が悪くなり、私に電話をしてきた。

 ちなみに姉は、オヤジからの電話を全て拒否している。

 オヤジは私に電話するしかないのだ。

 ステテコだけは、何とか自分で洗濯したのだという。しかし、それ以外の大きな物ができないらしい。

 今の時代の洗濯なんか、全てを洗濯機に突っ込んで、ジェルボールなどの洗剤を入れて、洗濯機の電源を入れ、スタートボタンを押すだけで完結するはずだ。

 しかし、これが怖くてできないらしい。

 かつて排水のホースを風呂に入れ損ねて床を水浸しにし、下の階の方の家具などに損害を与えてしまったことも、かなり影響しているようだ。これは保険で何とかしたようだが、オヤジは加害者として、かなりのショックを受けていた。

 洗濯ができないなんて悩みは、健常者に言わせれば笑い話の類いになってしまうが、オヤジは真剣に悩んでいる。

 カミサンにも相談すると、やはりこのような事は、老化の始まり、いわゆる痴呆の症状のひとつなんじゃないか、と言われた。そうかもしれない。

 オヤジはエアコンの設定温度を何度にすればいいのか、冷房にするのか暖房にするのか、なんてことを、毎日のように私に電話してきていた。

 これも痴呆という名の病気の一種の症状なのだろう。

 カミサンは、もう二人で一緒に暮らすのは無理なんじゃないの?と言うが、私は何とか両親二人、実家で暮らして欲しいなと思っている。

 この先、介護認定がおりれば、ケアマネがついて、いろいろなサービスを考えてくれるに違いない。

 姉とも協力しながら、何とか老いた親が幸せに生きることのできる術を模索していきたいと思っている。