海上コンテナ配送で訪れたキャンピングカー工場と、過去の思い出

 仕事で今日は海上コンテナをお隣の山形県村山市に配送する仕事を仰せつかった。

 輸入され、中身の入ったコンテナをトレーラーに繋ぎ、配送先まで運転して行くのだけれど、そこは山形の雪深いところの一つで、しばらく行ったことがない街。

 しかも、荷物がものすごく軽い。40フィートのコンテナなのに、中身は2トンもない。

 こりゃ何だと思って同僚に聞いてみると、キャンピングカーのガワ、骨組み以外の物が二っつ入っているのだそう。

 配送先の地図を調べてみると、VANTECH、バンテックさんという国内でも超一流のキャンピングカーディーラーの工場だった。

 私が震災前まで取り組んでいたタンクローリーの仕事では、この街には毎日という頻度でお伺いしていたものの、この工場はなかった。

 何を隠そう私はかつて、キャンピングカーが欲しくなり、手に入れたことがある。

 アメリカのテキサスで作られているカシータというモデルで、自走ではなく、自分の自家用車で牽引するトレーラーのタイプだった。

 これを買ったことから屋久島での生活がはじまり、ねこを中で飼っていたことでカミサンが引っかかり、彼女の実家である仙台での今の生活に至る。

 このようにキャンピングカーは、私にとってとても重要な存在なのだけど、いかんせん、歳を取ったせいか、お金がないせいか、今でも興味こそはあるものの、実際に欲しいとは思うことができないのが悲しい現状なのだ。

 でも、こうやって仕事で沢山のキャンピングカーを作っている工場へ来ると、さすがに心が躍る。

 幸いなのかどうなのか、荷下ろしはものの20分程度で終わってしまうらしいのだが、「私も昔はトレーラーに乗っていたんですよ」って、荷下ろししてくれている担当の人に話しかけてしまうことは間違いない。

 今は成熟してきた感があるけれど、私が買い求めた頃はまだまだキャンピングカーなんて黎明期もいいところで、その認知度は格段に低かった。

 屋久島で暮らしていたら雨漏りしたりでいろいろと困った事も多かったけれど、約2年の間、キャンピングカーで暮らしながらHPを更新し続けた事は、私の人生の中で、唯一人に自慢できることだと思っている。

 父も母も要介護状態になってしまい(父は要支援1)、カミサンにも家の仕事の事を問い詰められ、もう何も面白いことなどないなと投げやりになっていた矢先、ちょっとした心の刺激をもらったような気がする。

 心配だったのは峠の雪。朝起きてライブカメラを見てみると、圧雪だったのでこれは参ったなと思ったが、何のことはない、すっかり溶けてチェーンも撒くことなく来ることができたので早く着いてしまい、これを書くことができている。

 明日も同じ仕事をする予定だ。

 何か面白い展開になればいいな、なんて、夢のような事を思っているが、そんなことは120%ない。

 やっぱり人間は、楽しいことを考えなければダメなんだなと、そんな思いを新たにしている。

 この先もそう行きたいのはやまやまなのだけれど、いかんせん、仕事だ介護だカネだ将来のことだ、何だかんだで忙しい毎日が続いている。

 とにかく毎日生きていこうと、今日も結論は同じになってしまったけれど、身体がちょっとだけ楽だから、儲かったということにしよう。