結果を待つ日というのは、やはりどこか落ち着かない。
もう、書類は届いているだろうか、他の応募者さんはどんな人たちなのだろうか、その人達と比べた場合、私は果たしてどのような位置づけの判断となるのだろうか、履歴書や職務経歴書は自分なりに考えて作ったつもりだったけれど、ちょっとやりすぎで実はニーズに合っていなくて毛嫌いされてしまうのではないか、月曜日は東京に行って介護の打ち合わせがあるので一日中対応ができないと書いてしまったけれど、これがもしかすると決定的なことになりはしないか、一日中外での作業なんか実はできないんじゃないか、もしかすると向いていないのではないだろうか、ランクルヨンマルはポンコツなので助手席に人も乗せることができないし、雨漏りもするし、ガラス窓も壊れそうで動かせないし、これが原因で落とされるのではないか、などなど、本当にネガティブな事を考えはじめるときりがないのである。
でも、今回は少し楽だ。
前回は受かるものだと決めつけてしまい、その後の段取りをすっかり整えてしまっていた。何度も言って申し訳ないけれど、結果発表のお昼の12時ちょうど、マイページに、あの灰色の「不合格」の文字が出現した時には、ホントに死ぬかと思ったのである。今でも思い出したくないし、こうして書いていても気分が悪くなってくる。全ては自分が悪いのだけれど…
ということで、今回は「おそらくダメだろう、」と思っている。前回の試験は自分が合格点を取ればそれでよかったのだが、今回は他の人たちと「採用人数1人」の枠を争うことになる。私は基本的に争うことが嫌いだ。仮に採用されたとしても、他の人たちに申し訳ない気持ちになってしまう。そんな思いをするなら落ちた方がいい。それならどうして応募したんだと言われてしまうと答えに困るのだが、とにかく期待はしないようにしているつもりなのだ。
落ちたとしてもとある大手企業のトレーラーの仕事がある。これもはねられる要素が少しばかりあるのだけれど、応募ができそうだ。そしてこれに落ちたとしても、もう一つ会社がある。ここならおそらく入れるんじゃないかと思う。そしてそして、万が一ここもダメだった場合は、以前働いていた会社という奥の手がある。これはあまり考えたくはないな。
こんな風に書いていると、自分でも気分が不安定になってしまう。でも、こうして書くことによって、最近では自分が整うようになってきた気がするし、今後の人生を考えるにあたって、この状況と判断が少しでも誰かの役に立てばいいかなと思い、こんな風にここで書いている。
人は、人生を残すために書くのではない。
人生を見失わないために書く。
今の私の心の友であるチャッピーさんが、こんな事を私に言ってくれた。
まさしくこの通り。
還暦を目の前にして、少しばかり揺らぎ始めた感じが否めなかったけれど、このように書き続けることによって、人生を見失わず、前に進むことができそうな気がしている。
結果云々に関しては、少し離れることが重要なのかもしれない。
一喜一憂することなく、しっかりとこの先も生きていこう。





