「聞いてよ、ひどいんだよ」
昨日の帰り、カミサンに電話をすると、開口一番こう言われた。よっぽど気に入らない何かがあったのだろう。
「どうしたの?」
「〇〇商店、灯油入れて行かなかったんだ。せっかく紙書いて石油んとこに貼っつけておいたのに。見ていかないんだね…」
「朝晩、こんなに寒くなったのになぁ」
「やっぱりさ、オヤジの息がかかってるのは、一つずつ排除して行かなきゃだね」
「そうだね…」
義父と仲の良かった米穀店は、昨日の灯油配送で指示をしておいたにもかかわらず、灯油を入れて行ってくれなかった。
昨日も書いたが、義父がいるときは、配送員が頭を下げて義父にお伺いを立て、義父がいつも高い米を買っているとばかりの上から目線で、入れるとか入れないとかの指示を出していた。
私たち、特にカミサンは、その様子を思い出すだけで気分が悪くなる。
金持ちぶって、上から目線で、今の言葉で言うなら超マウント取りで、そんな事をしていたのに、貯金は一銭もなく、自分が歩けなくなって、介護施設に入ることになっても、悪かった、お願いします、などの言葉が一つもなく、全ては自分の子供がやってくれると思っている、おめでたい義父。
こんな所にも、まだまだ影響は残っているのだ。
「変えたらさ、面倒くさいんだよね?」
「プロパンガスもあるからな。灯油だけならスタンドやホームセンターに変えてもいいんじゃないか?」
「そうだね、検討してみよう。あいつのこと、思い出すだけで嫌だから」
こうなってしまう前、病院の先生や、私も友人などから、親の面倒を見るのが当たり前、と言うような言葉を何度か聞いていたが、私とカミサンは、ある程度の事まではするけれど、その先の、例えば寝たきりの状態を介護するとか、自分の仕事を辞めてでも介護するとか、そのようなレベルの取り組みはできない、しない、と決めていた。
幸いにも、彼は元公務員だったので、それなりの年金があり、これで何とかなっているのだが、世の中には親を何とかしなければと思っていても、どうにもならない人も多いことだろう。
他人には決してわからない、家庭の事情。
いろいろとあるのだ。