義父の施設への入居は、ほぼ決まった。
あとは私たちに関する、施設側の簡単な審査を残すのみとなった。
簡易的な、形式的なものだから、大丈夫です、と、施設長からは言われているが、実際に契約をして、彼が施設に入り、支払いをして生活が軌道に乗るまでは、何故だか安心できない。
これは私もカミサンも同じだ。
義父に関することでは、今まで散々裏切られたり、嫌な思いをしてきたりしてきている。今の状態も、前ケアマネにケツを捲られてしまった事から、今いる病院で転院先を探してもらうことになった訳だが、なかなか転院先は見つからなかった。
最悪の場合はどうなるのだろうか、家に戻ってくることもあるのだろうか、病院の言う通りの施設しかないとすれば、月に25万も30万も払うことはできないので、私たちが彼のためにパンクしてしまうのではないだろうか、カミサンはせっかく病気が完治してこれからの時間を楽しもうというのに、扶養を外れて朝から晩まで働かねばならなくなり、私は私で、毎日毎日、毎週毎週泊まりの金になる仕事をしなければならなくなるのではないだろうか、そんな懸念が常に頭をよぎっていた。
仮に彼が家に帰ってきたとするなら、一日朝昼晩夜と四回、腹膜透析の世話を家族がしなければならない。彼は意識こそはあるものの既に寝たきり寸前の状態で、食事や排泄にはじまり、生活全てにおいて介護が必要な状態だ。おそらくリハビリをしたところで殆ど改善はしないだろう。
義父とカミサンの今までの関係を見ても、カミサンが彼を介護するという状況など、絶対にあり得ない。これは家族のみぞ知る、ここには書くことのできない理由がある。
かといって私が仕事を辞めてしまえば、生活ができない。私は貯金もないし、仮に60歳で年金を受給するとしても、その年金は8万位しかない。
本当に大きなストレスだった。
そんな中、私が電話口でお話した印象だけを頼りに訪れた、一番はじめの施設に、私たちの状況をよく理解し、問題を解決へと導いてくれる女神がいた。
施設を探す上で散々悩まされた腹膜透析だったが、今回のプランは腹膜透析でなければ提案されなかった。
大腿骨を骨折し、手術をして成功したものの歩けなくなり、透析が始まり、ベッドでの生活となった。介護度は格段に上がってしまい、仮にリハビリの病院を出た後でも、最悪は自宅に戻るのか、月に10万以上も足が出るナーシングホームに入れなければならないのか、それが私たちにとっての最大の懸念だったが、この悩ましかった状態も、今回のプランに該当するための大きな要因だった。
そして費用面でも、施設側と私たちのニーズがカチッと音を立てて組み合わさり、思いもよらない結果となった。当初は絶対にこれでは無理だろうな、と思っていた範囲で、何とか収まりそうなのである。
彼が大腿骨を骨折したこと、シャントを何度も手術してもダメで、ペースメーカーが入っている事から、腹膜透析しか方法がないと言われたこと、数ヶ月にわたる入院で、骨折を機に殆ど歩くこともできなくなってしまったこと、これらすべてが今回、この結論になるための布石となった。
「未だに信じられない。アタシは幸せに慣れてないから実感できないよ。でも、本当だよね。もう家に帰ってこないし、私たち二人でこの家で生活できるんだよね」
「俺もまだ実感がないけど、大丈夫だと思うよ」
「日本の介護制度って、手厚いところにはとんでもなく手厚いんだね。ヒロシの親みたいに、何の世話にもなっていない人がいるかと思えば、こんなに支援される人もいるって、ほんとうに…」
「こりゃ、実際に経験しないと、絶対にわからないよな」
とにかく私たちは、今まで幸せに慣れていなかったこともあるのか、今の状態を素直に喜ぶことがなかなかできずにいたのだが、二日が経過して、ようやく実感が少しずつ沸いてきた。
カミサンは早速、施設から用意された「入所時に必要な物リスト」を見て、新品を買おうか、家にあるものでいいのかなどを考えている。
「使用済みおむつを入れる蓋付きのバケツだって。ホームセンターにあるよね。Amazonでも売ってるかな?」
そう言いながらスマホを操作するカミサンを見て、ようやく私たちも、人並みのストレスフリーの生活ができるようになるのだな、と思った。