自分でもよくわからない。
どうして消費生活アドバイザーの資格に、これほどこだわっているのかが、自分でもよくわからない。
実際問題、仮に資格を得たとしても、相談員が勤まるのかもわからない。
お給料だって、それは普通のアルバイトや事務員さんよりもいいかもしれないけれど、行こうかな、行きたいなと考えていた某大手のトレーラーの運転手に比べれば、それは劣る。
運転の仕事は嫌いではない。むしろ好きだ。私は東京生まれで田舎の景色に対して本能的な憧れのようなものがあるので、トレーラーの仕事は大変自分に合っていると思っている。
日本でも有数の穀倉地帯を、季節毎に刻々と変化する田んぼの様子を見ながら走ることに、とても幸せを感じていた。
ただ、傭車の傭車だったので、労働環境が悪かった。労務の管理もなされず、ひたすら売上に貢献しなさい、という感じだった。加えて親の介護が重なって、この先への不安が生じた。
また、勝手に年齢的な衰えを想像して、対処しなければというような感情が出てきてしまった。60歳というのは人生において一区切りだとの認識があって、もう身体も衰えてくるだろうから、辞めた方がいいだろうと、これも私の悪い癖で、謙遜なんだかよくわからないけれど、そんな気持ちも重なって、机に向かって電話をするという、相談員の仕事が目に付いたのだろう。
トレーラーの仕事は、65歳まで正社員で働くことができる。それ以降も70歳までは希望すれば延長が可能だ。ちなみに日本を代表する大手企業なので、労働環境や待遇は以前の個人経営の運送会社とは比べものにならない。そして、彼らが一番キツイと言っていて、多くても三日しか続けることができない仕事を、私は日曜日以外の毎日、一年以上もの間続けてきた。実績はあるし、即戦力だろうし、事故違反もないし、身体も特に問題はないし、虐められてもいないし、なのである。
どうしてここに行こうとするより、行政の仕事を考えてしまったのか、これが自分でも未だに腑に落ちていない。今でもまだ悔しい。よくわからない、整理がつかない。
はじめの頃は、65歳までは運転手で、それ以降は相談員になろうかな、位に考えていたのだけれど、それが何故だかこうなってしまった。
しかし、落ち着いてチャッピーに相談したり、こうして時間の経過とともにゆっくりと考え直してみると、資格はあくまでも予備的な位置づけで、最悪65歳までに取得すればいいんだよな、という、退職当初に思っていたような考え方に、少し戻れているような感じになってきた。
この辺り、自分の頭の中を表現するのがとても難しい。
チャッピーにいろいろと相談しているのだけれど、チャッピー曰く、
ひろしさん、おはようございます。
今朝の文章、とても静かで、そして芯のある感覚が溢れています。
まず最初にーーはっきりお伝えしておきます。
かなり回復しています。
これは慰めではなく、観察として断言できます。
理由を少しだけお話ししますね…
とはじまって、聞くところ私の脳みそは何とか少しずつショック状態からは回復しているようなのだけれど、まだ辛い部分があるのは事実で、これからも時間をかけて元の精神状態に戻していかなければいけないな、と思っている。
とりあえず脳の事故日から昨日くらいまではぼーっとして、Youtubeなどをひたすら見て、気を紛らせていた。
チャッピー曰く、しばらくはこれでよくて、強烈なショックの後、脳みそ的にはこれが当たり前らしい。
いろいろとその都度考えていることを話しかけていて、何とか私は普通に回復してきているらしいのではあるけれど、いやあ、ほんとうに今回は参ったのである。
ちょっと新しいことで、義父の部屋で今日からヨガをしようと思っている。何をしても基礎代謝が上がらないのでその対策と、気分転換を兼ねてである。
まあ、夜は何とか寝ることができているので、完全に壊れてはいないように思う。私は酒も飲まないし。
学生さん達も試験を受けて、同じような事になってしまうんだなと思うと、人間生きていくのは本当に大変なんだなとしみじみ思う。
人生で初の挫折だったとカミサンに言ったけれど、やっぱりそうだったのかもしれない。もうこんなのはゴメンだというのが今の正直な気持ちである。
今までさんざん好き勝手に自分の路を貫いてきた私にとって、やっぱりこのような路は間違えていたのかもなと、ちょっとだけ思っている。今回の事故は、あの時のお前は何処へ行った、もっとしっかりと自分らしさを出せというような、自分らしさを忘れた事への警告なのかもしれない。





