昨日は、いろいろと用事があったので、街に出かけた。
本能的に、「くらしの豆知識」という雑誌の最新号が欲しくなり、消費生活センターへ行ってみた。
優しそうなご年配の女性にご対応いただいたのだけれど、担当の方がご不在とのことで、願いは叶わなかった。
ついでに、先日大変ご迷惑をおかけしてしまったので、採用ご担当の方に「申し訳ありませんでした」と謝罪をした。
「また、機会があれば」
そうおっしゃっていただき、私は深々と何度も頭を下げて、施設を後にした。
私は行政の施設というものを、本能的に感じ取った。ここで「働き続ける」ことが本当にできるだろうか。自分のこの性格を押し殺して行わねばならない仕事に、やりがいを感じることができるだろうか。電話での苦情対応の中で、相手の心に入りすぎ、聞き過ぎてしまって、自分がおかしくなるなんてことはないだろうか。毎日辛さを引きずって帰ることにならないだろうか…
私はかつて屋久島で暮らしていた際、ホームページを開設していたのだが、そこで沢山の読者の方から相談を受けていた。正直、ちょっと難しい相談もかなりあったのだが、一応ホームページ経由でのお問い合わせなので、一件一件、相手の状況なども考えながら、自分としてはかなり丁寧に時間を割いてメールでお返事を差し上げていた。かなり疲弊して、精神的に参った状況になったことも何度かあった。
eBayでの海外からの問い合わせにしてもそうだ。今のように翻訳ソフトは発達していなかったので、全て自分で考えて英語で返事をしていた。外国人だって同じで、いい人もいれば適当な人もいる。これは何だ、何に使われていた物か、時代はいつだ、江戸か、明治か、などなど、できる範囲で英語でのメールを書いていたが、英語力は少し上がったような気がしたけれど、費用対効果はそれほどでもなかったように思う。これだってかなり疲弊した。今思えば1ドル80円位だったし。
こんな風に、私はいい意味で、相手の心に入りすぎてしまうことが多い。無視したり冷たくしたりすることができない。反対を言うなら、このような対応は、自分を疲弊させ、ストレス過多へと追い込む要素を多大に孕んでいる。それが収益に繋がることなら我慢して続けることができるけれど、屋久島の移住相談なんか、メールを書いたところで「お金ください」なんて言えるものではない。私はあの頃、だんだんと、自分の生活に自分なりの価値を見いだしてしまっていて、取材などに対して態度が大きくなってしまっていた。取材の申し込みには謝礼を確認し、日記の読者には購読料を要求し、日記を本にすれば売れるだろうと、大きな勘違いをしていた。文芸社へのローンを長い間払いながら、段々とバカだった自分がわかってきた。
施設を後にすると、かつて繁栄を極めたソープランドのビルが売りに出ていた。時代は確実に前に進んでいる。それを見ながら考える。時給約1700円、ボーナス約51万、一年ごとの更新、三年限度、次も応募し直しで継続… 賃金だけで、ボーナスだけで飛びついたのではないだろうか。本当にあそこで働きたかっただろうのか。お金だけが目的なら潰れてしまうのではないだろうか… 本当にできるのだろうか…。冬の冷たい風に吹かれ、ソープランド売り出しの幕を見ながら、自分なりに冷静になって考えてみた。
その後、不在者投票をし、今度実家へ行く際の、JR東日本の格安きっぷ「キュンパス」のきっぷを駅の端末で発行し、ハローワークで職業相談をして帰ってきた。
職業相談で、自衛隊の大型車の整備と運転という、これはいいかなと思った求人があったので、家に帰って確認してみると、午前中にはあった求人が、午後の問い合わせでは保留になっていたので自衛隊に問い合わせたら、先月で締め切りの求人だった、とのことだった。すみませんでも何でもなかった。
気持ちが戻ってきた。
行けるところへ行くように、神様が招いてくれているのだろう。
また、期待し過ぎるとコケるので、あまり強くは書かないけれど、このように昨日は行くべき所へ行きなさいと、静かに決意を促されたような一日だった。
これに従おうかなと思っている。




