転職

 今の運転手の仕事をはじめたのは、東日本大震災後である。

 復興需要で忙しそうなダンプカーが沢山走りはじめたのと、ネットビジネスでの借金が膨らんで、どうにもならなくなったことが、運転手の仕事を再度はじめた理由である。

 こちらへ来てからしばらくは、他の会社で運転手をしていた。しかし運転以外に職場の組合の分会長をやらされたり、運転自体も、朝早くて毎日眠気と戦いながらの運転は危ないとの思いから、運転とは一切縁を切り、そこの会社は退職してインターネットの仕事をはじめた。

 震災が起きたあたりまでは上手く行っていたのだが、いろいろと見極めや脇が甘く、借金が膨らんでしまい、専業では続けることができなくなってしまったのである。

 今の会社は、ダンプカーの運転手として入社している。ダンプカーは雨が降って積み場や現場がぬかるんでしまうとか、現場の都合だったりとか、そもそも仕事自体がなかったりとかで、休みになることが多い。そのため、出勤した日数だけお給料をいただける、日給月給という給与体系になっている。ハローワークの求人票に記載されている契約形態は、社員ではなく、その他の契約、となっている。

 働き始めてしばらくは順調に仕事があったが、何年かするとだんだんと仕事が薄くなってきた。やがて休みが多くなり、働きたくても仕事がなくて働けない、イコール、給料が安くなってしまう、というような状況になってきた。

 復興の勢いの順番のようなものが微妙にあり、私の暮らしている宮城県はかなりのペースで復興が進んだ。(ダンプカーの仕事があった) やがて、これが一段落すると、次にやってきたのは原発関連の仕事だった。

 除染で出た廃棄物は地域毎に貯蔵されているのだが、その除染廃棄物を運ぶ仕事で大量にダンプカーが必要になった。この仕事は、福島県の寮に入り、そこから出勤し、毎日仕事をするというもの。当時はまだ、それなりに線量も高かったので、希望する者だけが福島に出向いた。

 会社側も、私は家を留守にする泊まりの仕事や、線量の高い所での仕事はNGだと言うことがわかっていたようで、私に声はかからなかった。

 確かこのあたり、復興の仕事の終わりが見え始めた時点で、私はダンプカーの仕事は辞めようと思っていた。ネットを徘徊し、とある地元企業が運営する派遣会社に登録した。履歴書を書き、事務所に赴いて話をし、希望を伝えた。

 いろいろな求人を見ていたのだが、一つ目に留まる求人があった。私は高卒から12年間、東京トヨタに勤めており、ある程度車の知識と接客の経験がある。それなら、トヨタレンタリースで働いてみてはどうだろう、ということで、こちらの求人に応募した。

 仕事内容は、レンタカーの回送や清掃、ならびに事務所での受け付けなど。これならできそうだと、そこそこの自信も密かに覚えながら応募した。

 しかし、結果は不採用であった。

 なんだこのやろう、俺を採用しないなんて見る目がないな、と、あがいてみた所でどうにもならない。不採用は不採用なのだ。

 結局、こちらの派遣会社からは何度か連絡をもらったが、お世話になることはなく、この会社自体もどこかの大きな派遣会社に吸収されてしまって、私の登録もその時点で終了となった。

 同じ頃、今のトレーラーの仕事を会社から仰せ遣い、今に至っている。

 毎朝、積み場に行く途中の道沿いに、私に不採用を下したレンタカー会社の営業所がある。昨日信号待ちで見ていると、年の頃私と同じくらいのスーツを着た男性が最新のプリウスで出勤し、ロープを酷き、開店の準備をしていた。

 あれをやっていたのかもしれないと思うと、複雑な気持ちになった。

 長い目で見るなら、あの時不採用にしていただいて、よかったのかもしれない。