過去と未来の交差点

 帰り道、JRのコンテナを3つ積んだ日通のトレーラーとスライドした。(すれ違った)

 私は今まであれに乗って、毎日朝の6時過ぎから夜は7時過ぎまで、毎日350キロもの道のりを、県道の下道をひた走り、仕事をしてきた。

 こちらがわがままを言っていたので仕方ないと言ってしまえばそれまでだが、安月給でボーナスは2万5千円、休みは日曜日だけ、言われた日だけ仕事、休みになれば給料はもらえず、常に事故と安月給のリスクが伴う仕事。軽微な事故なら全額自己負担もあり、その安月給さえも吹っ飛びかねない。

 雪道を安全に走るため、タイヤチェーンは必須なのだが、あるのは「生」と呼ばれる昔ながらの重たい鉄のものだけ。主流になっている軽量のものや、ワイヤーチェーンを買ってくれと言っても買ってもらえず、欲しい運転手は会社が安く買ったものを給料天引きで買う。

 こんな事が当たり前の会社に10年位勤めていたので、もうこの感じが染みついてしまっている。

 しかし、還暦になり状況が逆転した。

 親の介護を理由にこの会社を退職したのが、結果的にはよかった。

 朝は7時過ぎに出勤し、夕方は4時に終わる。ちょっと身体はきつい事もあるけれど、きちんと休憩も取ることができる。

 週休二日で半年の契約だけれど県の職員ということになっている。聞くところによると、私と同じ契約だった前任者は、半年で解雇されることはなく、何年かは勤めることができていたと聞く。この制度は経費のかかる正規の公務員の任用を何とかしたいと考えた中で生まれた制度のようだ。

 前の会社は中小の運送屋で、自分で稼いだ運賃の中から給料を払うという考え方だった。例えば4万でも5万でも会社に対しての運賃が発生しなければ給料は払いませんよ、という仕組み。働いて運賃を稼ぎ出さなければ、給料がもらえなかった。これは私も当初驚いたのだが、お試しや見習いというような形で隣に同乗した者には、この会社は一切給料を支払っていなかった。会社に来たのにお金を一銭ももらえずに辞めていった者を何人も見てきた。

 同様に、タイヤ交換やオイル交換は運転手の仕事となっていた。これは私の例だが、会社は運賃を稼いだ事に対してのみ、私に給料を払った。オイル交換をしても、エレメント交換をしても、その作業時間に対する手当は出ない。悔しいので何度も書くけれど、大型車のタイヤすべてを、通常の仕事の後、自ら一人でスタッドレスにすべて交換しても、夜中の2時とか3時とかまでかかって交換しても、お金はもらえなかった。あくまでも運転手が稼ぎ出した運賃が会社になければ、支払われることはなかった。

 日通のトレーラーとスライドして、今月初めの頃は、まだ少し未練が残っていた。

 ちなみに私が所属していたのは日通ではなく、JRの傭車の傭車だったので、その点は誤解のないように。

 でも、この生活をはじめてしまった今、もう運転手はいいかなと思っている。

 何とかこの仕事を年金受給まで続けて、できれば70のちょっと前まで続けることができるなら、その後はバイトと年金で何とかなるかもしれない。

 今はとりあえずこの仕事をきちんとこなして行くことだけを考えている。身体が大事な道具なので、自宅に戻るとストレッチをしたりヨガをしたりして、身体を丁寧にメンテナンスするようにしている。

 もう少しで給料日なのだけれど、果たしておいくら振り込まれるだろう。

 昔の会社の状況から考えると、信じられないのである。

 自分が好き勝手やってきたので解ったことでもあるけれど、この世の中には様々な暮らし方があるのだとつくづく思う。

 最後の最後に、人間らしい暮らし方ができればいいなと思っている。