休みと訪問看護│これでいいの?日本の介護事情

「明日は休みでお願いします」

 配車係さんからこのような指示があり、運転の仕事は突然休みになった。

 以前、ダンプカーの仕事をしていた頃は、天気によって現場の作業が中止になることがあったので、このような突然の休みはよくあったのだが、今の仕事になってからは少なくなっていた。

 しかし、ご時世なのか、物量が減り仕事が少ないのか、ここ最近、今の仕事でも休みになることが多くなってしまった。私の給料体系は日給月給という仕組みなので、仕事がなければ当然給料はもらえない。

 以前から慣れているので、こうなってしまった際には家の仕事をがんばることにしている。といっても、なかなか現実は厳しいのではあるけれど。

 カミサンも休みだったが、以前から友人と会う約束をしていたので、朝から出かけてしまった。

 義父は本日、デイサービスはなく、一日家にいる日だったが、午後の2時から訪問看護が来る予定になっているようだった。彼は私やカミサンに訪問看護が来ることを告知することはない。彼の部屋にあるカレンダーに、訪看14:00~ と書かれているのを、私かカミサンが勝手に読んで認識する。

 気分転換に床屋に出かけることにした。歩いて7分位の所に格安カットのお店があるので、1200円が財布に入っていることを確認して、そこへ向かって歩き出した。

 同じブロックの、私の家の裏側から少しだけずれた所に、建て売り住宅を建築中で、今日は何やら道路を掘り起こして、下水管だかガス管だかの工事をしていた。

 乗用車二台がやっとすれ違うことのできる道路が更に工事で狭くなっており、警備員が3名配置されている。私が通過しようとすると、同じタイミングで対向車がやってきた。歩行者と乗用車は一緒に通れない幅になっていたので、警備員が合図してくれるものと思っていたが、警備員は私になかなか気づかない。

 ようやく気が付き私と目が合うと、向こうにいる乗用車を向こうにいる警備員経由で制して、私を通してくれた。その間、小さなバックホーに乗っていた作業員も一時作業を中止し、歩道の通行を優先させてくれた。

 私は仕事柄、手で挨拶をして、小走りに現場を駆け抜けた。こんなの日本人だけだとテレビの番組かネットのニュースだかで誰かが言っていたのを思い出したが、そんなのは関係ない。私は日本人で、なおかつ大型車の運転手なのだから、こうなってしまうのだ。

 10時開店の床屋に11時位に到着した。4番の番号札が現金投入機から出てきたのが見えたのだが、うちのカミサンと同じようなスピード重視の担当の女性の方がその券を発券出口から取り出し、私を担当の椅子へと案内した。

 いつものように、後ろと横とを3ミリで刈り上げて、上は適当に合わせて、全体的に短くして下さい、というと、担当の方がきちんと仕上げてくれる。今日は余裕があったのか、心なしか丁寧に散髪してくれたような気がした。

 格安床屋の常で、シャンプーやひげ剃りは存在せず、最後に残った髪をバキュームで吸い取って終了となる。前回行った時には、この吸い取りを忘れられてしまい、あろうことか忘れられたことに私も気づかず、静電気で細かい髪の毛が飛んでしまったりして面倒臭かったのだが、今回はもちろんそんなことはなく、無事にヘアカットが終了した。

 家に帰り、何気にこのお店のHPを見てみると、スタッフを募集しており、業績好調につき25万以上お支払いしていますと書いてあった。うちの会社も求人広告はかなり盛っているけれど、本当だとしたら、やっぱり特殊技術なので、この位もらえればいいんだろうな、などと思うと同時に、うちのカミサンは扶養の範囲ということもあるけれど、月に88,000円以下に抑えなければならないので、三分の一なのかと、何だか可哀想というか、そんなに違うのかと不思議な気持ちになった。

 家に帰り、カミサンが用意してくれていた食事をしてしばらくすると、義父の訪問看護がやって来た。これもまた検索して調べてみると、保険適用外で1時間あたり8,800円するのだという。介護保険で彼は2割負担で1,760円なのかもしれないけれど、担当介護業社の売上げ的には8,800円と交通費なのだろう。交通費込みで1万円、月に4回でひと月4万円かかる計算だ。今の私にこの4万弱の副収入があったとすれば、どんなに楽かと考えてしまった。また、カミサンの月の稼ぎの約半分程度のお金を、この訪問介護に払っているのかと思うと、社会の矛盾を感じると同時に、カミサンに対していたたまれない気持ちになった。

 かつての義父、退院直後は要介護3で、酸素必須だったので、この状態なら確かに訪問看護も必要だった。しかし今はそれなりに回復し、好きな物を好き放題食べている自由人である。果たして訪問介護は必要なのか、国民の皆様に納めていただいている税金の無駄使いではないかといつも思っているのだが、これが介護業界を取り巻く日本の現実なのだろう。

 将来に向けての安定した収入に向け、インターネット関連の勉強をしていると、休日はすぐに終わってしまった。

 現在の収入も安定せず、将来の年金収入などは到底見越せない私達の世代。一方で、高度経済成長期にがんばったと言われる、私達の親世代は、お金に困ることなく、悠々自適の年金生活を謳歌している現実。

 インターネットで収入を得ようとがんばってはいるけれど、現実に目の前でこの人の生活を見せられてしまうと、いけないとは思うけれど不公平感を感じてしまう。不平や不満はいけないと世間一般では言われるけれど、実際にそうなのだからこの感情は許してもらいたい。

 この先、将来に向けての展望が見えないばかりか、私達から下の世代の人たちは本当にどうなってしまうのかと、日本の将来が不安になってしまうのである。