寒中お見舞い申し上げます。今年もよろしくお願いいたします。
大晦日の夕方から2日の夜まで、東京の実家に行ってきた。
両親は共に元気だが、母親は昨日部屋の中で転んだようで、それこそマンガに出てくるようなアザを、目の周りに作っていた。
カミサンも年末に外出先で転び、顎、手、膝、などにアザを作っていて、なかなか治らない。
二人とも脳梗塞を経験しており、今でも治療でリクシアナという血液をサラサラにする薬を服用している。母は3mg,カミサンは身体が少し大きいので6mg。この薬を常用していると、アザが大変なことになる。
近くに住む姉が時々来てくれていて、何とか生活ができている感じである。
母は掃除もままならないようで、みんなでくつろぐフローリングの部屋の床には、埃が散見されている。
台所も片付けができないようで、かなり物が散らばっており、できる範囲でカミサンが片付けをし、家事を手伝っていた。
父は母の家事に対してリスペクトしているのか、文句を言うことはないのだが、所々で甘えたりわがままになったりする。二人ともボケてはいないものの、昭和9年と10年では、さすがにいろいろな事が衰えてきている。
2日後の今日の朝7時過ぎ、オヤジから電話がかかってきた。この時間の電話はろくなことがない。
洗濯物を持って帰っていないか?などと、訳のわからないことを言っている。そんなことはないよ、きちんとお母さんに渡して干してもらったよ、と説明するも、何だかおかしな様子の父。
聞けば母の体調が悪く、昨日辺りから布団の中で動けなくなってしまっているのだという。母に電話を代わってもらうと、昨日父の朝食のお粥をレンジで温めようとして動いた際、スリッパに躓いて部屋で転んでしまい、それ以来腰、脚の付け根あたりが痛く、寝返りも打てず、トイレにも行けず、どうにもならないのだという。
一緒に住んでいて、先日息を引き取った義父と同じパターンだ。
母は、洗濯物がどうなったなどの返事などどうでもよく、いろいろと聞いてくる父を何とかしたいがために、ありもしない適当な事を言っているようだった。相当辛いのだろう。
父と母と代わり代わりに電話を繋ぎ、まずは落ち着くように、そして、今の状態は救急車を呼んでもいい、呼ばなければならない状況だから、周囲に対しての気遣いはわかるけれど、我慢すればするほど辛くなってしまうだけだから、勇気を持って救急車を呼んで、病院に行くように、父は何とか頑張って母を支えるように、と伝えた。
同時に姉にも連絡を取り、実家へ行ってもらうようにお願いをした。本来なら長男である私が行けなければならないのはそれはわかっているけれど、帰省ラッシュと重なってしまうし、どうにもならなかった。悪いなと思った。
あれから6時間ほど経過しているが、未だ父からも姉からも連絡はない。おそらく病院には行っているとは思うのだが、ちょっと心配だ。
私たちはもう、れっきとした高齢者。
届いた年賀状には、3ヶ月入院して闘病生活を送ったけれど元気です、とか、高齢者運転の車に自転車を引っかけられて腰を痛め、なかなか良くならずにリハビリ中です、とか、そんな事柄を報告し合うようになっている。
私だって負けずに、全身麻酔で5泊6日の入院生活を送りましたが、元気にやっています、と返している。
こんな事をやり合っている私の親が、杖も使わずに、団地の二階で生活できている方が不思議なのだ。
義父の介護や看病は大変だったけれど、こんな所で落ち着いて行動できるようになっていたのは、唯一、プラスの事柄だったのかもしれない。
今年もいろいろなことがあると思うけれど、どうかよろしくお願いいたします。