卒業したのは、東京都立の男女共学校。
これが当たり前だと思い、通っていた。
服装は自由だったが、私は少しおかしいので、学ランを購入し、これを着て毎日高校へと通っていた。
やっぱり私は変だった。
年頃の男と女が入り交じって40人もいれば、チームができたり、誰がかわいいだの、かっこいいだの、そんな話は次第に出てくるもの。
合唱祭、体育祭、球技大会、学園祭、修学旅行、などなど、クラスが盛り上がる行事もいっぱいある。
かくいう私も、人間の摂理なのか、とある子を好きになった。
しかし、当時私はエホバの証人と交わりがあり、「男女交際は結婚を前提にするべきだ」という教えがあったので、苦しかったがこれを守り、交際をすることはなかった。
どこまでも私は変わっていた。
ちなみに柔道の授業は宗教上の理由ということで受けなかったし、学園祭の劇の参加も辞退したし、人間関係が複雑だったブラスバンド部も、「不完全な人間がやることは上手く行かないから」といって、一年で辞めてしまった。
今考えると、結構もったいないことをした。
卒業後40年も経過した今でも、同級生達とくされ縁が続いているということは、かなり楽しかったのだと思う。
ちなみに今は、無宗教である。
カミサンは女子校だった。
女子校なら女子校なりに、男性と出会う機会はあったようだ。
今の時代は、ジェンダー平等の観点から、男子校、女子校が次第に減っているのだという。
それに反対している人もいる。
まあ、人と人とは、男と女は、どうあろうと繋がって子孫を残すようにできているので、学校自体がどうのこうのという必要は、あまりないんじゃないかと私は思う。
密かに、あまり誰にも言っていない私の秘密をこんなところで暴露してみた。
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