病院の電話

 義父の状況などについて、病院からはカミサンの携帯電話に連絡がある。

 しかしこの電話、折り返しても繋がらないのだそう。

 昨日カミサンは、買い物に行くため車を運転中に電話がかかってきたが、出ることができなかった。駐車場で折り返し連絡しても、もちろん繋がらなかった。結局、夕飯の時間になって三度目の連絡があり、ようやく話ができたのだという。

 今までの入院なら、入院から約二週間も経過すれば、あれを持ってきてくれ、これを持ってきてくれとわがままを言われるのが常だったが、今回はかなり違う。

 彼は肥満な上に血管が細く、採血さん泣かせらしいのだが、透析をするためのシャントというものを作るための手術をしなければならないとのことで、今回の電話の内容は、この連絡と付き添いの確認だった。もちろんこのレベルの手術のために、一年で一番忙しい一日をわざわざ休んで行く必要などなく、付き添いはなしという事で話をした。

 しかしいつかも書いたかもしれないが、このシャントは既に彼の腕に挿入されている。一度入院して手術をし、透析は行われずにそのまま放置され、今回再び手術ということになった。彼の負担ももちろんそうだが、その他にも時間と医療資源とお金がもったいないと思うのは私だけだろうか。

 今回の入院では、手術成功の連絡以来、病状の連絡は全くなかったが、これで透析をするであろう事が判明した。当初のドクターの説明では、透析をすれば入院の期間が長くなってしまいます、とのことだったので、その他に何も言われなかったところをみると、その通り、入院は長引くのだろう。

 退院後はどうなるのか、車いすと透析で入ることのできる施設はあるのか、いくら負担しなければならないのか、不安は尽きないが、これらはケアマネあたりと連絡を取りながら、詰めていくことになるのだろう。

 今までは文句の一つも言わず、ケアマネの設定するがままにやってきたが、今回は強く要望を出し、何とかケアマネに頑張ってもらわねばならない。少し汚い見方になってしまうが、義父の事ではかなりの額の介護保険、その他もろもろの売上げが上がっており、当然事業所とケアマネはその恩恵を受けているはずなのだ。

 義父は要介護2である。何度も口に出して言ってしまうが、介護保険から事業者に対して支払われる額と、義父の毎月の年金の額を計算してみると、誰もが想像のつかないようなとんでもない額になる。コロナの支援金は一時的なものだったが、現在義父に対して支払われているお金は毎月毎月であり、命が絶えるまで続くものだ。

 これだけのお金と時間と貴重な医療資源を使って、医療を提供する価値が彼にはあるのだろうか。80を過ぎたら、もういいのではないか。この莫大なる資金と医療資源を、もっともっと有意義に使うことはできないのだろうか。

 日本人の価値観もあるのだろうが、このままでは日本は破綻してしまう。

 一国民の意見として、こんな場所からではあるけれど、申し上げておきたい。

 日本では口に出すのが憚られる風潮が否めないが、真剣に、安楽死の制度を作った方がいいと思う。

 今の若い子達が、可哀想すぎる。