送料無料が当たり前のような風潮になってしまった。
昨日は段ボールのごみを出す日だったので、ごみステーションに段ボールのゴミを持って行ったのだが、カミサンが用意してくれていた段ボールの量は、夫婦二人だけであるにもかかわらず、それなりの量だった。
カミサンは少しずつ良くなって来てはいるものの、足の調子が今ひとつで、思うように歩けない状況が続いている。なかなか普段出しているスーパーの段ボール集積場には持って行くことができないようで、今回このような形で私が町内運営のごみステーションに持って行く事になった。
殆どがAmazonの箱である。我が家は年間3,000円の時からAmazon Primeの会員になっているので、Prime製品なら送料無料で買うことができる。
今回カミサンは、普段ならドラッグストアで買うような商品も、足が痛くてなかなか思うように歩けない事から通販で買ったようだ。送料無料な上に、商品や買い方によっては店頭で買うよりも安く買える場合もあるのだという。
また、我が家はポストと玄関周辺に「荷物は全て置き配でいいですよ」と、大々的に張り紙をし、シャチハタのハンコを玄関前に紐で吊り下げてある。ハンコが必要ならハンコを押してもらって、入力は対面受け取りでいいですよ、という我が家なりの決まりが浸透したのと、置き配が可能になった事も大きい。
マンションの玄関先や街道沿いの家とは違い、我が家は私道袋小路の突き当たりにあり、更に門扉を入ったその奥に玄関があるので、このようにしても、今まで一度も荷物でトラブルが発生した事はなく、きちんと配達してもらっている。元佐川急便のセールスドライバー的には、ハンコをもらわないで置き配でいいというのは、実はかなりの革命だと思っている。
家としてはとても助かっている送料無料と置き配なのだが、これが一転、自分で商品を販売する側になって考えた場合は、厄介なのである。自分勝手なのは承知で言わせてもらうなら、商売として物を販売しようとする場合は、やはり送料をきちんといただきたいのである。送料だけではなく、できれば海外販売のeBayでは認められている、梱包資材と梱包、発送手数料という、Shippingのチャージをいただきたいのである。
しかし悲しいかな、この願いは叶わない方向に進んでいる。
メルカリはメルカリが送料の一部を負担してまで送料無料(実質的には販売者が負担)で買うことができるし、AmazonはPrime会員なら、多くの商品を送料無料で買うことができる。企業努力の賜物だと言ってしまえばそれまでなのだが、実際に車を運転して配達の業務をしている者から言わせれば、私たちの給料は誰が払ってくれているのですか、どこから出ているのですか、という事なのだ。
給料だけではない。今は燃料費も高騰しているし、車だって毎日走らせるならそれなりのメンテナンスが必要だし、タイヤだって減るし、バッテリーだってダメになるだろうし、オイル交換もしなければだし、車検も点検も受けなければならないし、とにかく人が車に乗って荷物を積み込んで出発し、配達完了するまでには、それなりの手間と費用がかかるのである。
何でこれが無料なのだろうと思うのである。
Amazon Prime の年会費と、Amazonの企業努力、企業の規模だと言われてしまうと、返す言葉もない。
消費者は、スマホで物を買う場合、送料は無料なのだという意識が植え付けられつつあるのが、何というか、悲しいというか味気ないというか、強い言葉で言うなら許せないのである。
国内で販売をしてみようかな、と考える時もあるのだけれど、やはり送料がネックになって、なかなかやる気が起きない。
やっぱり私はこの性格なので、eBayが似合っているのかもしれないが、そこでも売れないとなれば、これはもう、お手上げだ。
運送業界全体で見ても、適正な運賃をいただくことはなかなか難しい状況が続いている。何とかご理解いただき、適性運賃をいただけるような世の中にならないかなと思っているのだけれど、なかなか難しいのが現実なのである。
今は何とか回っているけれど、そのうちに人手不足で、配達業務が不可能に、なんてことにならないように、何とかいい方法があればいいなといつも一人で考えている。