
昨年、あまり時期が定かではないのだけれど、カミサンから今後の事について申し入れがあった。
今私がしている、運転とは別のいわゆる副業はどうなっているのか、これからどうするつもりなのか、老後はどうなるのか、この部屋いっぱいのガラクタをいい加減どうにかしてほしい、貴方が死んだら私が片付けなくちゃいけない、運転の仕事はどうするのか、このまま中途半端な雇用形態ではなく、正社員になったらどうか、そうすればお金の心配がなくなるのではないか、などなど、要するに今の私の状況を何とかしなさい、ということだった。
私は今すぐには答えることができないので、来年の誕生日までに何とかして答えを出すと約束し、カミサンは納得した。
妻は言いたいことを言ってスッキリしたようだったが、私はこの時を境に妻を見る目が少し変わった。
その後、仕事がめちゃくちゃに忙しくなり、おそらくそのストレスからなのかは定かではないけれど、顎骨骨髄炎を発症し、医者通いが始まり、最終的には5泊6日の入院で全身麻酔による手術となり、それが終わったと思ったら義父が介護施設でセクハラをはじめ、様子が怪しくなり、義父を明らかに嫌がっている介護施設との応対に追われ、そして義父が死亡し、介護施設や葬儀屋さん、骨の処理や墓の処理などに追われ、更に追い打ちをかけるように、私側の両親が、母の自宅での大腿骨骨折をきっかけに介護状態になり、今は新幹線で実家に行ったりとその対応に追われていて、正直なところ副業に取り組むような余裕などなかったし、今も実際にないのである。
ないことはなかったかもしれないが、ほんの僅かな時間でも、インスタを見てしまったら終わらなくなってしまったり、YouTubeに引っかかったり、怪しい女性の某ビデオに突入してしまったり、まあ、時間があったらあったで、ダメなんだろうな、なんて思っていたのが現実だった。
誕生日、妻に答えを求められた。
私はたじろぎながらも返事をしたものの、妻の言うことに返答するだけだった。
今の運転の仕事は正社員にはならずに今の状態で続けて、副業は縮小する。部屋の商品は少しずつ片付ける、と大まかに返事をした。彼女は納得していない様子だったが、仕方なかった。
何せ、ありとあらゆる事が一気に吹きかかってきたので、ここ数ヶ月は正直大変だった。今も大変だ。
今の状態で副業を成功させるのは至難の業である。
潔く諦めればいいのだけれど、やはりどこかに未練がある。
カミサンも、私の状況を見て、それを鑑みている。本来なら社員になって運転の仕事だけやって欲しいのだけど、そこまでは求めない。と言っていた。
今後どうするかなんて、今から考えたって仕方ないじゃないか、と思いながら59歳になった。今でも考えていることは同じだ。どうにかなるんだ、人生なんて。私はそう考えながら生きてきたし今も生きている。考えたって仕方ないよね、
妻はこの点で几帳面な考え方を持っている。
私は適当だ。
二人が上手く行っているのかなんて、本人達でさえもわかったもんじゃない。
世の中なんて、他人同士の集まりなんだと思う。
同級生なんて、配偶者が亡くなった者の方が元気に過ごしているような感じもある。
今、親の事で毎日姉と話をしているけれど、血の繋がっている関係はやっぱり違うと感じる。これは仕方ないんだと思う。
とにかく今さらどうにかこうにか言ったところで始まらないので、約束を果たしながら、怒られないようにやっていくしかない。
まったく、こんな風になってしまうとは、である。
とにかく毎日余裕がないので、少しでも余裕を持つことを考えてみようと思う。
今日も山形に来ているので、この景色で心が洗われている。