屋久島

 私が会社を辞めて、一回目屋久島に行ったのは1996年だと思う。

 1966年3月生まれの私が、30歳の時だ。

 当時は携帯電話がかろうじて普及し始めた頃で、屋久島の海の上では繋がらないこともあったし、島の中も万全ではなかった。

 スマホもなければ、インターネットの回線もない、そんな時代だった。

 今私は何とか収益を得られないかと、毎日TikTokばかりを見ている。

 するとやはり、田舎暮らしをコンテンツにして、視聴者を集めている人がいる。

 ライブの仕組みもあるようで、視聴者からお金をもらったりもできるようだ。これは私も未だにあまりよくわかっていない領域である。

 この環境が、あの時あったらどうだったろう。

 今日のとびうお漁、網一回目、こんなに入りました~ なんて事ができたら、視聴者も集まってくれるんじゃないかと思う。

 港で漁師が集まり、時化で休みか、それとも出漁するのかのきわどい時、重丸が黒い煙とともにエンジンをかけ、意気揚々と先導を切って出向するところなど、考えてみただけで面白い。

 シーカヤックで屋久島の海や安房川に漕ぎ出して、その様子を配信なんてこともできる。

 もののけ姫の森などは、映像ととても相性がいい。苔や森や川の流れなんかを写すだけでも価値となる。

 きちんとやれば、とびうおも売れるだろうし、ツアーガイドとしての仕事も受注できるだろう。

 まあ、私が生きてきたのは昭和のあの頃だし、屋久島に行けたのは、バブル経済という時代背景もあったからだったしで、どうのこうの言うつもりはない。私はあの時なりに、精一杯やった達成感はある。

 今は、情報は増えただろうし、窓口も増えただろうし、コンタクトも取りやすくなっただろうし、仕事も地元で探したり、インターネット関連でもいろいろと出てきているしで、田舎暮らしにとって、状況は良くなってきているんじゃないかと思う。

 アメリカのバイデン大統領が、面白い事を言っていた。日本人は移民が嫌いだから云々という内容で、日本政府が抗議していたが、これは間違いないと思う。

 田舎暮らしだって、相手から見るなら、移民の受け入れと何ら変わりはない。

 長いスパンで見て、満足のいく結果を得ることができている人はどのくらいいるのか、また、時代と共に増えているのか、どうなのだろう。

 おそらく、それほど大きな違いはないような気もする。

 それだけ、日本における田舎暮らしは難しいものなのかもしれない。