引っ越しが最盛期である。
道路をトラックで走っていると、引っ越しの現場をよく見かけるし、トラックの待機場所では、大型トラックから小型のトラックに引っ越しの荷物を積み替えている業者も時々見受けられる。
私が一番はじめにアルバイトをしたのは、引っ越し屋さんだった。
確か一日5千円で、1,5トン位のトラックの助手席に乗り、引っ越しの荷物を運ぶ手伝いをした。私の実家は多摩ニュータウンなので、団地から団地への引っ越しが多く、何階から降ろして、何階に上げる仕事だ、なんて事がよく話題になっていた。
一件だけ、とても印象に残っている引っ越しがある。その家には、大量のレコードがあった。指示書には、命よりも大切なレコード2,000枚!注意!とか書いてあったように記憶している。段ボールに入ったそれを団地の階段を使って下げたり上げたりしたのだが、これが想像以上にきつかった。レコードは思った以上に重く、その段ボールが数十個あったので、当時は高校生で、身体を鍛えていた私でも、バテてしまったのを覚えている。
もう40年も前の事だからなのか、今もあるのかはわからないが、記憶では3割位のお客さんが、私たち作業員にチップをくれた。よくあるケースだと、仕事が始まる前に代表の者が呼ばれ、そこで引っ越しの荷主さんからチップをもらう事が多かった。これをもらうと俄然やる気が出て、当然愛想もよくなり、作業効率も上がった。一人あたりにすれば500円とか1000円とかだったけれど、もらうとかなり嬉しかった。
私が屋久島に行った時は、ランドクルーザーとキャンピングトレーラーのカシータに目一杯荷物を積み込んで出発した。当然、引っ越し業者などは頼んでいない。屋久島から仙台に行ったときも同様だ。いくつかの荷物は宅急便で送ったが、引っ越し業者のお世話になることはなかった。
老人ホームの段取りを見ていると、最終的には衣類や何やらを引っ越しする必要があると書いてある。これは普通の人が老人ホームに入る時にやることなのだろう。我が家の義父の場合は既に要介護が4か3位の感じで、ベッドから起き上がれるかどうかも怪しいようなので、最低限の物だけを、自分の車で運ぶことになると思う。カルディナというステーションワゴン車がもう一台あるので、これにテレビと衣類を整理するチェスト位は入るだろう。それでじゅぶんだ。
あさっての土曜日、カミサンと一緒に、私が見つけたケアハウスに話を聞きに行くことになっている。第一段階で私が問い合わせの電話を差し上げた際には、とても感じよく応対してくれたので、きっといい所で、義父も終の住処として受け入れ、喜ぶのではないかと思っている。
時間もお金もかかり、ストレスも溜まってしまうけれど、こればかりは仕方ないので、カミサンと文句を言いながら、何とか乗り切ろう、大谷くんやダルビッシュに元気をもらったので、これをバネにがんばりましょう、ということになっている。