夕食に韓国のおかずをよく食べるようになったのと、カロリーオーバーの懸念から、夕食に米をあまり食べなくなった。
かつては茶碗に2杯3杯位食べていた時期もあったが、今は食べても小さなおにぎり1つ分位の量しか食べていない。
こちら宮城県は言わずと知れた日本有数の穀倉地帯で、私の家の近くでも美味しいお米が沢山生産されている。春先の田植えからはじまって、暖かくなってきたと思うと稲穂が出て、季節のめぐりに合わせて生育し、やがては一面黄金色に色づき頭を垂れ、秋に収穫される様を、かれこれ20回以上見てきている。
既に亡くなってしまったが、カミサンの母方の実家は、それこそ数百年の間、代々続いている農家で、かつての生活ぶりや、さまざま苦労話を聞いている。
日本人に産まれたのだから、美味しいお米を食べることができるのは特権である。
毎年新米が獲れる時期になると、とれたて独特の香りのいい新米を食べ、季節の移ろいと収穫の喜びを味わうことも、年中行事の1つとして、こちらでは定着している。
今はすっかり弱ってしまったが、かつての義父は米に強いこだわりがあり、私がこちらへ来た時は10キロ4,500円以上するササニシキを、地元の馴染みの米屋から毎回買ってきて食べていた。1年位前に一万円を渡され、ササニシキの新米を買ってきてくれるか、と言われたのが最後だが、それまでは頑なにササニシキを食べていた。
時代は流れ、恐ろしいとも言えるような物価高の時代になってしまった。
義父は私達に相談することもなく、ケアマネージャーから紹介され、今まで嫌々ながらに食べていたご飯つきの宅配の夕食を、ワタミの宅食に変えてしまった。
ワタミの宅食はおかずだけだ。ご飯は別途用意しなければならない。
ワタミの宅食に変えるので、これからは夕食時、白いご飯の用意をお願いしますね、とでも言ってくれればカミサンも納得するのだが、義父は家の食事を仕切っているカミサンに、ご飯について何も言わない。
更に面倒なことには、彼はワタミの宅食があるのに、自分で好き勝手なおかずを買ってきてそれを食べ、せっかく毎朝、彼と同じような世代の方が、傷まないようにと気遣いながら一生懸命に持ってきてくれるおかずを、平気で捨ててしまう。そうなると、こちらが用意しているご飯を食べないのだ。
この「自分で好き勝手に買ってくるおかず」というものが、例えば数枚で1,300円の高級肉のパックを2つとか、宅配の寿司だったりとか、年金暮らしで、病気のデパート状態にある庶民の食生活とはかけ離れた自分勝手なものばかりであり、その上、今日はご飯はいらないからとか、一言もカミサンに言うこともないので、もう私もカミサンも怒りを通り越して、何とも言えない大きなストレスを抱えてしまうのである。せっかく用意してあるご飯が食べてもらえずに、そのまま炊飯器の中に残り、保温するための電気代ばかりがかかってしまうのだ。
私達は義父がこの通りなのを今まで我慢してきたが、もうやめることにした。このままではストレスで、カミサンの病気が再発してしまうと思った。
物価高なので、米は最低限のものでいいということにした。
先日、業務スーパーに行くと、5キロで1,000円の米が山積みになっていたので、迷うことなくそれを買い求めた。私は昼食におにぎりを2つ作ってもらい持っていくのだが、この米でも何ら問題はなかった。
義父用に残しておいた米が食べてもらえなかった時には冷凍保存し、後日カミサンが、美味しい韓国料理に変身させてくれるようになった。
我が家には義父用と私達夫婦用、2つの炊飯器があるが、これらもかつてのようにフル稼働することはもうない。
月日の経過と共に、いろいろなことが変わってくる。
我が家で今起こっていることも、その中のほんの一部に過ぎないのだろう。