30年位前、私は東京トヨタという会社の本社に勤めていた。
会社を辞めると言ったら、当時の次長から「お前は本社に来い。定年までいていいからな」と言われたので、横浜で海上コンテナトレーラーの仕事をする予定を変更し、これもいいかなと、通勤時間片道2時間以上の本社勤務を受け入れた。
本社は私が来たことで現場との風通しが良くなった。私は現場上がりということもあって、現場の人のことを考え、一生懸命に働いた。
やがてバブルが崩壊すると、会社は様々な見直しをはじめた。
私のいた部署も例外ではなく、人員をギリギリまで減らした上、到底守れそうもない厳しい残業の上限が設けられた。
私は現場で頑張っている人たちのために、かつては面倒と言われていた様々な事柄を、いろいろとやってあげるようになっていたので、必然的に電話が多くなっていた。自分で言うのもおこがましいが、人当たりはそれなりによく、文句も言わずにいろいろな事をやってあげていたので、人間、嫌な人よりも感じのいい人に電話をしたくなるのは当然だろう。
新車販売の各営業所の業務、中古車販売の営業やセンター長から、毎日毎日電話がかかってきて、説明したり、対応したり、当時20代後半の、給料なんて手取りで10万円そこそこの若造は、現場の人のために必死になって働いていた。
必然的に残業が多くなり、これが会社の新しい規約に引っかかるとのことで、問題となった。私は電話に出なくていい、時間内でできる事だけをやって時間になったら帰ればいい、あとは何とかなるから、君はそんなに働かなくていい、と言われ、私への電話は遮断され、全てを当時の課長が受けることになった。
課長が私の替わりをできるはずはなかった。書類の回転が遅くなり、新車のセールスマンは販売した新車の実績給がもらえなくなってしまったり、中古車のセールスマンは本来約束したお客様との納期を守ることができなくなったりした。
私は現場で頑張っている人たちの役に立つことができず、心が痛んだが、給料をもらっている会社から言われたことを守るしかなかった。
この仕事を受けた当初は、慣れないのと、一気に業務が集中したのとで、会社に布団を持っていって泊まり込みで仕事をした。経理の同僚などは、「大変だね」と、同情してくれた。どうにもならない、何とも言えない気持ちをぶつけるべく、役員の机の前にどんがりと布団を敷いて寝た。
女子社員は6人か7人かいたが、私の目の前で働いてくれている女子社員が私の状況を見かねて、私の仕事を手伝ってくれるようになった。かなり助かったが、助けてくれたのは6人も7人もいるなかで、彼女だけだった。
女子社員の立場は会社によっていろいろだと思う。お茶くみなどはなかったが、どう見ても私から言わせれば余裕があった。朝礼に出るとすぐに化粧室に行き、15分位戻ってこない子もいた。この子はもちろん、課が違うということもあり、私の仕事を手伝ってくれる事はなかった。
このような状況で、私は毎日朝の6時半から仕事をし、遅いときには夜の10時過ぎまで仕事をしたりして、何とか業務をこなしていた。朝はもちろん、自分で勝手に早く出勤しているので手当はつかず、夜も限られた時間しか残業代は出なかった。仕方ない、こうするしかなかったのだ。
この状態で、仮に私が結婚し、子供をもうけたところで、育休など取れるだろうか。会社は経費削減のタスクを達成するべく、できる限りの人員を減らし、業務の効率化を図り、これでもかと言わんばかりの激務を私に突きつけて来た。
周囲も全ての人が忙しくなっているので、替わりに仕事をするなど考えられない。物理上、タイムライン上不可能なのである。極限までリストラと業務、人員の見直しをしたなら、こうなるはずなのだ。
簡単に育休が取れるということは、乱暴な言い方になってしまうけれど、言い換えるなら、あなたの会社は業務の効率化、経費の削減ががまだまだできますよ、ということの裏返しなのではないかと思うのだ。
これはもちろん、仕事内容にもよる。
しかし、日本の社会を見るなら、普通の男性社員や、責任のある仕事を任されている女子社員が育休を取得するのは、難しい状況にあると思う。
もう、この会社は存在しないので書いたが、私はこの会社に対して、100万も200万もの価値に相当する、賃金未払いのただ働きをした。あの時のひどい仕打ちは一生忘れない。