先日同窓会の事を書いた。

 中心となっているリーダーは、我らのクラスに在籍していた友人で、今は仕事で大成功をおさめている。

 グループのラインでも、しょっちゅう全国へ出張している姿が送られてきており、忙しくて景気がいいのがわかる。

 その合間を縫って、同窓会の大幹事をやってくれている。

 ありがたい限りだ。

 同級生なので、私もかつては彼とそれなりに近い関係だった。家には何回も行ったことがあるし、お姉さんには車を買ってもらったし、卒業してからはグループで彼の田舎にみんなでスキーをしに行ったりもした。

 企画書の最終案がグループラインで送られてきて、これを各クラスの代表に流したいと思うので、確認をお願いしたいと言う。

 先日私は値段のことを言ってしまったので、そこが2千円安くなっていたのを確認し、私は一番はじめに返事を書いた。グループ内でも、文章を書いて意見を言うのは私だけだ。

 私は前回、会のスナップ写真と全体写真を友人と撮影し(一部はしてもらい)、私なりに独自にホームページを作成して、そこに写真を掲載するという仕事を自らで提案して自主的に行った。閲覧制限をかけて、知っている人にしか見ることができないように配慮している。そのホームページは今でもあり、一応私の仕事の経費で運営している。

 前回は私もまだガラケーだった。でも今は一人一台スマホの時代。いつでもどこでも写真や動画を撮影し、楽しむことができるようになった。ホームページにこのような膨大なスナップ写真を掲載することは、時代の流れで必要なくなっているし、YouTubeを見てもわかるように今は肖像権などもうるさいので今回はいいよな、と感じていたので、この事を簡単に確認する旨を書いて返事をした。

 彼からすぐに返事があり、それは個人で管理するという事でいいでしょう、と、返事があった。そして最後に、今は会の開催を決めている段階なので、まずはそちらを決めましょう。細かいことは決まってから詰めて行きましょう。と書かれていた。

 言いたいことはわかるし、彼の功績は絶大なのでいいのだけれど、少し気になった。

 カチンとくるようなレベルではないけれど、じわじわと効いてくる感じのストレスだ。

 会を引き立てるホームページを作成したり、当時は動画の編集などごく一部の者しか扱っていなかった時代、写真を繋げて動画にしてDVDに焼いてと、私もリーダーシップが取れないなりに、自分のできる場所で自分のできることをやってきたつもりだった。

 会が開催されれば、想い出の一部として、写真は必要になると思う。開催をするにあたってはこの事を確認してくれてもいいんじゃないか、私がかつて取り組んだ事柄を、今回も、もう一度やろうと思っているという事を決断するのに、今考えてもいいんじゃないかと思っていたのだが、彼の頭の中にはそれはなかったようだ。私は否定されることが嫌いだ。

 彼の返事を読んで私はかなり悲しくなった。

 ラインのグループの中には三人返事をしていない者がいて、おそらく彼らは私の心情をわかってくれているような感じがする。

 私のオヤジは、かつては遠く離れた同級生達と連絡を取り合って、今の私と同じように同期会などにも参加していたようなのだが、ある時を境にそれをきっぱりと断ち切った。今の私と同じくらいの頃だったかもしれない。

 数年前に聞いたところによると、今の私と同じ理由だった。

 今回のことを機に、私も近いうちにそうしようかなと思い始めている。
 
 ラインにわかりやすく説明する2-3行の文章を書こうとも思ったが、飲み込んだ。