私は昭和53年、1978年製造の車を昭和61年の秋に買い、現在でもその車に乗っている。今日も通勤で自宅から会社まで乗ってきた。
いわゆる旧車なのだが、維持は思った以上に大変である。
20年位前まではそれ程壊れる事もなかったが、ここ最近は常にどこかの調子が悪い。今は久しぶりに、何も悪いところがない状態だが、またしばらくすると何かの不具合が出てくるだろう。
このような、「いつどこが壊れてしまうのか?」という精神的ストレスに加えて、修理費用も馬鹿にならない。専門の業者さんに正式な形で修理をお願いするなら、普通の修理からは考えれないような値段になることもある。
例えば、ワイパーのモーターが壊れたとする。部品は製造されている訳もなく、現品を修理することになる。旧車の電気関係の部品を専門に修理している所にオーバーホールという形で依頼をするのだが、コイルの巻き直しなどもあれば、往復の送料込みで4万円位かかる可能性がある。
これに部品の取り外し、取り付けの費用が追加となる。部品の取り外しも、製造から40年も50年も経過していれば、ネジが回らなかったり、固着していて切れてしまったりする。私がかつてウォーターポンプを取り換えた際には、通常工賃15,000円の他に、1本あたり2000円のネジ取り替え費用が4本分加算されていた。部品の脱着と取り付けの工賃も、普通の車と比べものにならないくらい高くなってしまう場合がある。
これは一例で、この他にも、あっちこっちに錆びて穴が開いてきたり、ウィンカーの点滅が怪しくなったり、マフラーから大きな音がしはじめたり、最近では車検を受けたすぐ後に、バックランプが両方とも点かなくなったりと、様々な箇所が壊れてくる。
錆びてボディーの立て付けに異常をきたし、歪みが出て、後方の観音扉が閉まらなくなったりもした。通常では考えられないような故障が多発する。
普通の人なら専門業者に修理に出すところだが、壊れる度にショップにお願いしていたのでは、いくら時間とお金があっても足りない。私はそれほど経済的に余裕がないので、15年位前から、できることは自分で調べて修理をするようになった。インターネットの発達は、この点では大変助かっている。よっぽどの技術が必要な修理以外は、何とか自分でするように心がけている。
最近テレビを見ていると、アメリカの旧車コレクターの間では、愛車の電動化がトレンドとなっている、という話題が放映されていた。
日本も旧車ブームと言われて久しいが、アメリカのクラッシックカー市場は、筋金入りのコレクターが多い。もともと車をカスタムしたり、レストアしたりする文化がアメリカには定着しているので、その傾向が強いのだろう。
その市場で今、クラッシックカーの電動化が盛んに行われているのだという。
聞いた当初は驚いたが、これが案外相性がいいようで、様々な旧車が電動化されて展示されていた。もちろん、きちんと走る。
電動化であれば、シャーシとボディーだけ残っていれば、何とか動くようにできるのだろう。エンジンや動力伝達の装置、ラジエーターなどの冷却系統や各種油脂類などもほとんど必要なくなる。
日本でも数は少ないものの、旧車に電気のユニットを搭載した車が登場していた。しかしこれは、べらぼうに価格が高く、コストの削減がこれからの課題だそうだ。車一台毎の完全な注文生産なので、総費用で500万近くかかってしまう場合もあるとのこと。電動ユニットを搭載したVWビートルやスバル360などは、かなり軽快に走っていたように見えたが、普及するかどうかはコストとの戦いになりそうである。
私の車も電気にすれば、故障は少なくなるだろう。でも、電動化してしまうと、私がこの車に対して感じている価値はなくなってしまう。
スタイルだけではなく、今や化石的存在になりつつある、グロー余熱後のエンジン始動、独特のディーゼルのエンジン音、次はクラッチのレリーズシリンダーがいつ壊れるかと心配しながらのシフトチェンジ、ガタガタと言いながら車体のあっちこっちがきしむ音に加え、B型3000ccのディーゼルエンジン音がしてこそ、私の愛車、トヨタランドクルーザー BJ40V 通称ランクルヨンマルなのである。
旧車、クラッシックカーにとって、電動化は環境にも優しく合理的なのかもしれないけれど、一人の筋金入りオーナーとしては、かなり寂しくなってしまうな、と感じている。決してお金がないからという僻みではないので、あしからず。